「社会学」の歴史が短い「社会学的理由」
社会学は、だいたい19世紀に生まれた学問です。その歴史は200年ほどしかなく、哲学や物理など他の学問と比べるとずいぶん短いものです。 【画像】社会学者フロイトに、エディプス・コンプレックスが生まれた日のこと なぜ社会学の歴史は短いのか? ――それには「社会学的理由がある」と、社会学者の大澤真幸さんは語ります。 【本記事は、大澤真幸『社会学史』から抜粋・編集したものです。】
社会学の社会学
これから社会学の歴史について話していきます。社会学は、数ある学問の中では新しい学問です。歴史は非常に短い。 もちろん、「いつから社会学が始まったのか」というのは難しい問題ですが、大雑把に言えば19世紀なので、まだ200年ぐらいの歴史しかありません。たとえば、哲学とは比ぶべくもないし、あるいは物理学の始まりをどこと見るかにもよりますが、仮に科学革命からだとしても、物理学のほうがずっと古い。 歴史が浅いことには理由があります。たまたま誕生が遅かったわけではないのです。 先取りして、私の言葉でポイントを言えば、社会学は、「近代社会の自己意識の一つの表現」なのです。近代社会というものの特徴は、比喩的な言い方をすれば、「自己意識をもつ社会」です。自分が何であるか、自分はどこへ向かっているのか、自分はどこから来たのか。それが正しい認識かどうかはわかりませんが、近代社会とはこういう自己意識をもつ社会です。 その自己意識の一つの表現が、広く見れば社会科学、その中でも社会学という学問なのです。だから、自己意識をもつ社会の中にしか、社会学は生まれません。それ以前の社会には──社会学的なものにつながりうる思考のパターンはありますが──社会学はないのです。 そういう意味で、社会学の歴史が短いのは、たまたま何かの発見が遅かったからではなくて、いわば社会学的な理由があるのです。 これから話すのは、いわば「社会学の内部から社会学の歴史を書く」という方法です。 どんな学問にも歴史があります。だからたいていは、初めに○○史というのを勉強するでしょう。しかし、社会学の歴史は、他の学問の歴史とは違った性格をもっています。 社会学が、今日の目で見て社会学らしい社会学になるのは19世紀のことです。「近代」というのは曖昧な言葉ですが、とにかく近代社会がある程度成熟しないと、つまり産業革命やフランス革命を経て、かなり今風の社会にならないと社会学は出てこない。なぜならば、社会学自身が社会現象だからです。 つまり、社会現象を説明するのが社会学だとすれば、社会学そのものも社会学の対象になる。したがって、社会学の歴史は、それ自体が一つの社会学になるのです。 たとえば、生物学の歴史を書いたとしましょう。知的には十分興味深いものになると思いますが、生物学の歴史を知っていることと、生物学それ自体とは別のものです。あるいは、より社会学に近い学問で、たとえば経済学の歴史を書いたとすると、経済学の歴史自体は経済学ではありません。しかし、社会学の歴史はそれ自体が社会学になる。そこに社会学という学問の特徴があるわけです。 *
大澤 真幸(社会学者)