「3軒連続で吉野家の牛丼」だったことも…!26年で2000軒「隣の晩ごはん」ヨネスケさんが見てきた「日本の食卓」の変化
3軒連続で吉野家の牛丼
他の仕事とは全く質が異なるプレッシャー。それもそのはず、訪れる家庭には事前にアポを入れていたわけではない。 ただ町が決まっているだけ、撮影するのもまったくの一般人。取材慣れなどしていない。どんな晩ご飯が出てくるのかも案内されるまで全くわからない。訪れるほうも常に緊張でドキドキなのだ。 ヨネスケ「本当に、本当に失礼な話なんですが、ロケが始まる前にいつも、『ここで地震が起きたらやらなくてすむかな』とか『なにか災難なことに遭遇しないかな』なんて不謹慎なことも考えていましたよ(苦笑)。それくらい憂鬱で。でも、それが僕の仕事ですから『やらなきゃいけない』って思ってロケに行く。終わると『ああ。楽しかった』ってなる(笑)。その繰り返しです」 そんなヨネスケさんの特に印象に残っているメニューを聞くと、「社会情勢」を反映させた、意外な料理を教えてくれた。 ヨネスケ「吉野家の牛丼です。いわゆる“狂牛病問題”でアメリカから牛肉の輸入ができなくなり、吉野家で牛丼の販売が中止される前日の晩ご飯です。3軒回って3軒とも吉野家の牛丼(笑)。おうちの人は『牛丼で恥ずかしいわ』なんて言っていましたが、僕はラッキーでした(笑)」 昭和から平成へ、26年という長い時間の中で、晩ご飯の献立や家族のあり方などの変化も番組は映し出していた。 ヨネスケ「まず、晩ご飯でみそ汁を出す家庭が少なくなったこと。みそ汁の変わりにスープにしたり、そもそも汁物がなかったり。 献立も子どもに合わせたものが主流になりました。一番多いのがカレーライス。2番目は鶏の唐揚げ。3番目がハンバーグ。4番目はパスタ。昭和、平成の最初のころは肉じゃがや煮物も多かったんです。お母さんたちとかおばあちゃんたちが作った食事に子どもたちが合わせていました。子どもからするとあまりおいしくなかったり、苦手なものもあってでしょうが、今は逆ですね」 そして「日本人は米を食べなくなった」という。 ヨネスケ「食べてはいるのですが、量が減ったんです。おかずが多くなったからです。始めた頃は一汁一菜みたいな家庭がほとんどでした。だからご飯をたくさん食べてお腹いっぱいにするしかなかった。 でも、今はおかずが多いから、ご飯を少なめにてもおなかがいっぱいになる。ほかにも麺類やパンを晩ご飯で食べる家庭も増えたように思います。 時代とともに専業主婦よりも共働きが増え、レトルトや冷凍食品を利用しているお宅も多くなりましたね」 「家族の晩ご飯」のそのものが大きく変わった。