「S班陥落決まってもサバサバ」「五番街で蹴り入れた」競輪界のトップスター郡司浩平の素顔を父が激白
◆netkeirin特別企画 競輪父子鷹 part1
2024年はS班から陥落しての戦いという1年になった郡司浩平だったが、2月岐阜競輪「全日本選抜競輪(GI)」を優勝して、来年のS班復帰を即座に決めた。元競輪選手でもある浩平の父・郡司盛夫(引退=50期)は、息子・浩平を、競輪選手・浩平をどう見ているのか。2部作でお届けする前編では、“師匠として”の目線から見た郡司浩平の姿を語ってもらった。(取材・構成:netkeirin編集部)
「自分のスタイルはしっかりしろ」と教えた師匠からの言葉
ーー師匠という立場から見た「競輪選手・郡司浩平」 郡司盛夫(以下:盛夫) 僕の立場としては『S級までさせる』というのが使命だと思ってました。合格するまでは相当厳しい練習をさせたんですが、デビューしてからは本人に任せて。レースが終わってからのポイントくらいしか話してないんです。本当にコツコツ、特進したわけでもなく、積み重ねで今の地位に行ったんだと思っています。 ーーどんなアドバイスをすることが多かったですか? 盛夫 脚力的にある方じゃなかったので、「バックだけは取りなさい」と。ラインは大切なんだけど、自分が先手を取れないとか競走にならないとしようがない。「自分のスタイルはしっかりしなさい」と教えましたね。 ーー後ろの選手が優勝することが多かったこともありますが… 盛夫 S級に上がってからは自分の意志でやってましたね。あそこまで点数が上がってきたのに、そこまでする必要ないかなっていうのもありました。お客さんのバッシングも結構あって、「印ついているのになんであそこまでするんだ」って僕のところ(ガイダンスコーナー)に言いに来られたりしました(苦笑)
S班陥落が決まった時も穏やかだった郡司浩平の姿
ーー浩平選手は、新人時代と今は性格は変わりましたか? 盛夫 変わらないって言えば変わりませんね。昔から黙々とコツコツやるタイプです。 ーーピリピリとかしないですか? 盛夫 去年、S班陥落が決まった時も全くなかったです。自分のやったこと、結果がすべてだからしょうがないや、と。12月は「KEIRINグランプリ」に乗れても乗れなくても、リフレッシュと脚力の上積みをやりたいと話していました。それで「ウィナーズカップ(GII)」出場に届かなかったけど、本人が決めたこと。それが今年、歯車があって成績がよくなりましたし。