砂川判決がなぜ集団的自衛権の論拠に? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
「論拠化」への否定的な見方は?
真っ先に思い浮かぶのは「何が悲しくて砂川を持ち出すのか」という反発。この事件は当時盛んだった米軍基地反対闘争の一環と一般に認知されており、事件名も日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反です。それが違憲か合憲かを具体的に争ったのが裁判本来の目的で、自衛隊に集団的自衛権があるかどうかまで見通したとは到底思えないという認識が強く存在します。何しろ自衛隊の発足は54年。当時は自衛隊そのものが9条に違反しているという声も強い時代でした。あれは「保持しない」はずの「陸海空軍その他の戦力」そのものだと。これに対して歴代政権は「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」けど9条2項の「前項の目的を達するため」「認めない」から「前項の目的」でない個別的自衛権、当時盛んに使われた言葉だと「専守防衛」のみ認められると答弁してきました。 まして海外派遣にいたっては、90年代に入って国会がもめにもめたPKO(国連平和維持活動)協力法成立まで、おそらく自衛隊や防衛庁(当時)すら意識していなかったと思われます。今回の件が出てくるまで砂川判決で集団的自衛権を説明しようとしてこなかったし、近年アメリカで開示された公文書で焦点の最高裁判決を下した裁判官がアメリカに「無罪判決破棄」を伝えていたと類推できる資料まで見つかっています。集団的自衛権行使容認派からさえ「砂川を用いるのは筋が悪い」と首を傾げる人もいます。
判決「傍論」論の是非
先に示したように事件名は安保条約と米軍基地に関する法律違反であり、自衛権の問題は個別であれ集団であれ、核心部分からはずれた「傍論」に過ぎないという意見があります。砂川判決で集団的自衛権を容認したいグループは「最高裁判決に傍論などない」「傍論もまた判決の一部だ」と訴え、否認派は「傍論を用いたこじつけだ」と反発しています。 ただこういう議論は立場が逆転すると態度も変えるからどっちもどっちといえます。2008年、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高等裁判所が航空自衛隊のバグダッド空輸活動を違憲とする判断を示し、その後確定しました。裁判そのものは損害賠償請求などを退けて原告敗訴です。この時、政府内から「違憲」は傍論に過ぎないと公然と声があがった一方で、派遣に懐疑的な側は「判断は重い」「撤収の論議をせよ」と訴えました。
--------------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】