支え合って暮らしているはずなのに、当たり前のようにある「収入の差」「リスクの差」を受け入れてしまって良いのか?
社会のルールはどのように決めるべきか? すべての人が納得できる正義はあるのか? 講談社現代新書の新刊『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』は、現代政治哲学の起点となった主著『正義論』を平易に読み解き、ロールズ思想の核心をつかむ入門書です。 【写真】多様性は大事だけれど、きれいごとでは終わらない「分断された社会」の現実 本記事では〈多様性は大事だけれど、きれいごとでは終わらない「分断された社会」の現実…誰もが「生きづらくない社会」について真剣に考えるための「一つの手がかり〉につづき、ロールズの思想についてくわしくみていきます。 ※本記事は玉手慎太郎『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』から抜粋・編集したものです。
ロールズの人生
はじめに、『正義論』の著者ジョン・ロールズ(John Rawls: 1921-2002)がどんな人生を送ったのかについて、ごく簡単に見ていくところから始めましょう。なぜそうするのかと言えば、一つの理由は、著者の人物像を知ることで、その思想の内容にもいっそう親しみが持てるようになるものだからです。そしてもう一つの理由は、ロールズの場合、その人生を知ることが、彼の思想を理解する上での手がかりになるところがあるからです。 ジョン・ロールズは1921年2月21日、アメリカ合衆国メリーランド州のボルティモアに生まれました。家はそれなりに裕福で、また政治的な関心も高かったと伝わっています。ロールズは名門私立校ケント・スクールを卒業すると、日本でも有名なプリンストン大学に入学しました。 大学でロールズが最も大きな関心を持ったのは、彼を政治哲学者として認識している私たちからすると意外に思われるところですが、キリストの教えでした。ロールズは大学では神学の勉強に、すなわちキリスト教についての学問的な探究に打ち込みます。 卒業論文は「罪と信仰の意味についての簡潔な考察」というタイトルで執筆され、とても高い評価を得ました。卒業時点では、ロールズは聖職者になりたいと考えていたようですが、しかし、彼はすぐにその道に進むことにはなりませんでした。時代がそれを許さなかったと言っていいかもしれません。 先にロールズは1921年にアメリカに生まれた、と述べましたが、ここでピンときた人もいるのではないでしょうか。ロールズの青年期に極めて大きな影響をおよぼした出来事として、太平洋戦争がありました。彼は大学を卒業すると直ちに陸軍に入隊し、日本との戦争に兵士として参加します。 彼の配属された部隊は、ニューギニアやフィリピンで日本軍と戦いました。そこは私たちもよく知る通り、非常に過酷な戦場でした。ロールズは自らも命の危険に晒されるとともに、親しかった戦友を失います。戦争が終結したのちには、占領軍の一員として日本に上陸し、原爆が落とされた後の広島も見ています。 こういった経験を経て、彼の信仰心にどのような変化があったのかははっきりとはわかりません。ロールズはそれについてほとんど語ることがありませんでした。しかし少なくとも彼は戦後、もはや聖職者になろうとはしませんでした。その代わりに彼は学問の道、それも哲学の道を選びます。 ロールズは退役したのちの1946年にプリンストン大学の大学院に進学しました。1950年に博士論文を提出すると、イギリスのオックスフォード大学に留学し、帰国後の1953年にはコーネル大学の助教授となりました。大学院に在学中の1949年に結婚もしており、のちにロールズ夫妻は4人の子供に恵まれました。 さらにロールズは1960年にはマサチューセッツ工科大学の教授に、そして1962年にはハーヴァード大学の教授となります。以降、このハーヴァードにおいて長い時間をかけて執筆されたのが、彼の最初の著作でありそして20世紀の哲学を代表する名著の一つに数えられる『正義論』です。1971年に出版され、アメリカの政治学・哲学の世界に多大な影響力を及ぼしました。 『正義論』の解説に入る前に、ロールズの人生を先のほうまで見ておきましょう。ロールズは『正義論』の出版後もハーヴァード大学で教鞭を執り続けます。彼は最終的に3冊の著作を世に出しました。 2冊目の著作『政治的リベラリズム』(1993年)は、『正義論』に向けられた批判をふまえてその内容を部分的にヴァージョンアップし、彼の正義の構想をいっそう洗練させたものです。 3冊目の著作『万民の法』(1999年)は、正義にかなった社会を論じる『正義論』の枠組みを国際社会に応用し、正義にかなった国際社会のあり方を検討するものです。彼は最後まで『正義論』のテーマおよびその思想を追究し続けたと言えるでしょう。なおこの間、『正義論』は多くの言語に翻訳され、またさまざまな修正が加えられた改訂版も出版されました(1999年)。 現在ではこれらの3冊の著作の他に、論文集や大学での講義録も数多く出版されています。特に重要なのが、『正義論』と『政治的リベラリズム』の内容についてのロールズの講義ノートを書籍化した『公正としての正義 再説』(2001年)です。この本には上記2冊のエッセンスが比較的わかりやすくまとめられています(それでもかなり難解で、ある程度は予習しておかないとなす術もないのですが)。 ロールズは2002年に心臓発作でこの世を去りました。81歳でした。彼の思想はその後も多くの国で読み継がれ、さまざまな知的探究の源泉となり、彼の意志を継ぐさらなる研究へとつながっています。筆者もまた、ロールズの遺産を次の時代につなげようと努力している一人です。