死んだ子どもの値段はヤギと同じだった イラクでの「デタラメな戦争」で傷ついた元米兵が見つけた再生の道
あのデタラメな戦争から20年が過ぎた。2003年3月、米国はイラクのフセイン政権(当時)が核兵器などの大量破壊兵器を製造、保有していると言いがかりをつけてイラクに攻め込んだ。首都バグダッドが陥落し政権が崩壊したのは開戦から3週間足らず。しかし大量破壊兵器は存在せず、米国は泥沼の戦闘に引きずり込まれた揚げ句、2011年に撤退した。 その米国がイラク戦争を忘れようとしている。ウクライナに侵攻したロシアによる〝今の戦争〟と中国と台湾を念頭にした〝次の戦争〟で頭がいっぱいなのだ。 しかし当時バグダッドで市民がさらされる理不尽な現実を取材した記者の1人として、イラク戦争が米国人の記憶から抜けていく現実に納得がいかなかった。開戦20年を機に、同じ思いを抱える元米兵の話を聞いた。(敬称略、共同通信=半沢隆実) ▽心の「家」を探している米兵 イラクに従軍し心が壊れた米兵は、その思いを音楽に込めていた。
夕映えに染まる米西部アリゾナ州メサ、小さなライブハウスの薄暗いステージで48歳のジェイソン・ムーンは、地元の音楽家らと共演しフォークギターを奏で、歌った。「家路を今も探しているんだ」 ムーンはイラクでの従軍とその後の人生を、メロディに乗せて振り返った。「僕がしたことや見たこと、後悔していること。そして忘れられないこと。あんなことを経て、同じ人間でいられるだろうか」 「家」は失った自分の「心」を象徴している。イラク派遣から20年近くが過ぎたが、戦場の記憶はムーンをさいなみ続けてきた。 ムーンは開戦前、米中西部ウィスコンシンの州兵で、シンガー・ソングライターとしても活動していた。米国が侵攻を始めて約2カ月後の2003年5月、離婚した元妻との間に生まれその後育てていた3歳の息子を残し、イラクに派遣された。 イラクの現実は想像を超えていた。真夏になると南部ナシリアの気温は50度近くに上り、掘っ立て小屋のような兵舎ではシャワーすら何週間も使えない時期があった。祖国を蹂躙されたと感じた元イラク政府関係者らは反米武装勢力を組織。彼らの銃撃やロケット弾攻撃は昼夜を問わず、駐留基地内の兵士らを狙った。