「この国はよく統治されている」…明治時代、日本にやってきたイギリス女性がそう思った「意外な理由」
つぎつぎと「規則」に出会う
日本はいったい、世界のなかでどのような立ち位置を占めているのか。 世界情勢が混乱するなか、こうした問題について考える機会が増えたという人も多いかもしれません。 【写真】イザベラ・バードは、こんな顔をしていた…! 日本が世界に占める位置を、歴史的な視点をもって考えるうえで非常に役に立つのが、『イザベラ・バードの日本紀行』という本です。 イザベラ・バードは、1831年生まれのイギリス人。オーストラリアや朝鮮などさまざまな国を旅し、旅行作家となりました。 彼女は1878年、47歳のときに日本を訪れています。北海道をはじめ、いくつかの土地を旅しますが、その様子をあざやかにつづったのが、この『イザベラ・バードの日本紀行』なのです。 19世紀の後半、日本はどのような姿をしていたのか、それはイギリスという「文明国」「先進国」からやってきた女性の目にはどのように映ったのか、そこからは、明治日本とイギリスのどのような関係が見えるのか……本書はさまざまなことをおしえてくれます。 たとえば、バードは横浜に上陸したあと、「この国はよく統治されている」と思ったそうです。それはいったいどういうことだったのか。同書より引用します(読みやすさのため、改行を編集しています)。 *** 窓の外に目をやると、重い二輪の荷車をそれぞれ四人の男が押したり引いたりしているのが見えます。荷車にはほぼありとあらゆるもの、建材の石その他なんでもが載っています。 車を引いているふたりは重い心棒の先についている柄に手と腿を押しつけ、押しているふたりはうしろに突き出ている横材に肩を押し当てて、重い荷を積んで坂道を上がるときは、つるつるに剃った肉付きのいい頭を動力に使っています。 彼らの叫び声は印象的で哀愁を帯びています。彼らは信じがたいほどの荷を引きますが、たいがい息を吐くごとにうめき声かうなり声になってしまうのに、それでもまだ苦役が足りないとでもいうように荒いのど声で叫び、それはハ・フイダ、ハ・フイダ、ワ・ホ、ハ・フイダと言っているように聞こえます。 その光景から推測されるのは、労働力が安くて豊富だということです。政府がここ横浜やその他の都市では裸は罪になると定め、これらの哀れな荷車の労働者たちは船頭が着るのと同じ危険で不便な服装で働いています。わたしの推測では、着衣を強制するのは外国からの意見に対する譲歩でしょう。わたしの推測は両方の場合ともまちがっているかもしれません。 「政府はアジア的、専制的にして偶像崇拝的だ」というグリフィス教授[福井藩の招聘で一八七〇年に来日したウィリアム・E・グリフィス?]の見解からはじめるのは、たぶん賢明ではないでしょう。 わたしの受けた第一印象は、この国はよく統治されているというものです。上陸したとたん、サンパン(編集部注:貨物や人を運ぶ小舟)や人力車の料金表、掲示板の公告文、きちんとした警察官、乗り物の提灯、外国貨幣の拒絶、郵便規則などなど、「規則」に出会うのですから。それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです! *** ぼったくりがない、規則がすみずみに行き届いている……なにか無理やりに人々を押さえつけるイメージをともなう「専制的」という先入観を裏切る日本の姿が印象的です。 さらに【つづき】「「日本はロシアの属国」「日本には奴隷制がある」…19世紀のイギリス人が、日本に抱いていた「驚きのイメージ」」の記事では、
学術文庫&選書メチエ編集部