「はっしゃびよー」 大谷「50-50」に日ハム時代のキャンプ地・沖縄からも歓喜の声 名護や国頭
米大リーグのロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が大リーグ史上初の50本塁打、50盗塁の「50―50(フィフティーフィフティー)」を達成した快挙を受け、大谷選手がプロ野球日本ハム時代にキャンプで訪れていた名護市、国頭村の関係者、県内の野球少年からは喜びの声が上がった。キャンプの受け入れ先の関係者は大谷選手の快挙に触発され、野球の裾野の拡大に期待を寄せた。 【写真】大谷、沖縄キャンプでも魅了 日ハム時代
元名護市議会議長の屋比久稔さんは記録達成を知り「はっしゃびよー」と目を丸くした。議長時代の2015年、名護市代表として日ハムの始球式で登板した際には投球したボールに大谷選手のサインをもらい、今でもケースに入れて大切に保管している。名護市内の懇親会で会った際には非常におとなしく、礼儀正しい印象を受けたといい「大リーグに行くと聞いたときも『大丈夫かな』という印象だったが、まさかこんなに活躍するとは」と驚いた。 国頭村観光協会の比嘉明男会長は午前5時ごろから生中継で応援したといい「1打席目でバットを振れていたので『ひょっとしたら』と思った。こんなにうれしいことはない」と喜んだ。村安田のヤンバルクイナ生態展示学習施設で大谷選手を案内した経験もあり、大谷選手はクイナを見て「かわいい。大事にしないといけない」と反応したという。比嘉さんは「日本に帰国した際はまたクイナを見に来てほしい」と願った。 少年野球では二刀流で活躍する選手もいるが、プロではほとんどいない。県野球連盟北部支部学童部の渡口治事務局長は「少年野球の形(二刀流)でもプロで活躍できることを改めて実証した」と驚く。少年野球の人口は近年減少傾向にあるといい「大谷選手の活躍は野球に取り組む人にプラスになる。大谷選手になりたいという希望を持った子どもたちが増えるのでは」と期待した。
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