「岡谷工業のバレー部は終わった…」 県大会出場できず、部員10人切る…低迷したかつての全国屈指の強豪校はどう復活したのか
岡谷工業高校(長野県岡谷市)の男子バレーボール部が来年1月4日に東京都で開幕するバレーボールの全日本高校選手権(春高バレー)に2年ぶりに出場する。1998年から春高バレーを3連覇するなど全国屈指の強豪校だったが、一時は県大会に出られないほど低迷。3人の監督が立て直しを図り、再び全国で戦えるチームに成長してきた。岡工バレーの強さの源流を探り、春高までの道程や地元の期待を追った。(木田祐輔) 【表】2010年からのバレーボール長野県大会の優勝校と準優勝校。岡谷工は13~20年まで決勝戦で松本国際(旧創造学園)に敗れ続けた
高校3冠達成も監督が体罰で停職処分 なくなった選手寮
11月12日、長野市ホワイトリング。第4セットのマッチポイント、3年の春日虎太郎選手(18)のスパイクがブロックに当たり相手コートにぽとりと落ちた瞬間、春高への出場が決まった。全力を尽くした選手たちはコート上に倒れ込んだ。昨年は敗れた松本国際高校との県予選決勝。試合後の取材に普段は厳しい岡工監督の大日方崇徳さん(47)も「子どもたちが壁を乗り越えてくれたことに感謝」と涙を浮かべた。
2000年代初めまでは、県内の高校男子バレーは岡工の一強とも言える状況だった。当時コーチだった大日方さんは「全国に行くなら岡工という雰囲気だった」。県内の有力選手が集まり、1998年から春高バレーを3連覇。2000年は全国高校総体と国体を合わせた「高校三冠」も達成した。
だが、4年後に風向きが変わった。3連覇を達成した当時の監督が選手への健康管理の落ち度や体罰を問われ、停職処分となって辞職。監督を引き継いだ大日方さんも07年に異動した。大日方さんが運営していた選手寮がなくなり選手を集めにくくなった。
「伝統あるバレー部をつぶしてはいけないという思いだった。とても全国大会を目指すレベルではなかった」。07年、監督に就任した現県バレーボール協会強化委員長の鏡味照明さん(64)は、部員が10人を切った当時をそう振り返る。南信大会も勝ち抜けず、「周囲からは『岡谷工業のバレーは終わった』とみられていたのではないか」と回想する。