ボーディ×ナイキ「アストログラバー」発売間近! 次なるイット・スニーカー誕生の裏話をナイキの“正社員第1号”に訊いた
歴史に埋もれたナイキの名作「アストログラバー」が、BODE(ボーディ)の手で復活。ナイキの草創期を知るジェフ・ジョンソンが、US版『GQ』に当時の思い出を語ってくれた。 【写真12枚】ボーディ×ナイキ「アストログラバー」、ナイキのアーカイブ写真を見る エミリー・アダムス・ボーディ・アウジュラがナイキのアーカイブから発掘するまで、「アストログラバー」の名を知る者はそう多くはなかった。「アストログラバー」とは、同ブランドが初期にアメリカンフットボール選手のために作っていた、シンプルなスパイクシューズの名称である。ジェフ・ジョンソンは、このシューズのことを懐かしく思い出すひとりだ。ナイキが雇った最初の正社員であるジョンソンは、「アストログラバー」が1972年の初めに自身のデスクに置かれたときのことを振り返る。「あれは、とにかく魅力的なシューズでした」 そして今、ボーディ×ナイキ待望のコラボレーションの一環で刷新された「アストログラバー」は、現在最大の注目を浴びるスニーカーとして第二の人生を歩もうとしている。4月18日に販売開始されるコラボ・コレクションでは2種類の新バージョンが予定され、すでにUS版『VOGUE』が「次なるイット・スニーカー」になると予想している。アメリカのスポーツウェアの歴史に着想を得た新ライン「Bode Recreation(ボーディ レクリエーション)」のもと、カレッジ風のアパレルが揃うこぢんまりとしたコレクションがシューズとともに展開される。 初のメジャーなコラボプロジェクトである本コレクションのローンチは、次世代のラグジュアリーブランドであるボーディにとって重要なマイルストーンとなる。そしてそれは、ボーディの流儀としては典型的なことに、物語性に富んだプロジェクトにもなっている。その物語に関わってくるのがジョンソンだ。アメリカのフットウェア史における重要人物のひとりであり、“Nike”という名前をまさに生み出したのが彼なのだ。 ■“正社員第1号”が語るナイキの草創期 「アストログラバー」を巡るハイプが沸点に達するなか、私は米ニューハンプシャー州の自宅にいるジョンソンと滅多にないビデオ通話の機会に恵まれた。彼がここに住んでいるのは1983年の退職以来だという(退職があと1年遅ければ、1984年のナイキを描いたベン・アフレック監督の映画『AIR/エア』に彼も登場していたかもしれない)。ボーディ・アウジュラがナイキとのコラボ・コレクションに取りかかるに当たって、まずジョンソンに会いたがったという理由が、彼と話してすぐにわかった。いまだ“正社員第1号”という愛称で呼ばれる彼の現役時代は遠い過去のものだが、今もかくしゃくとしていて、ナイキというブランドの奇想天外な誕生物語について、長々と思い出を語るのも苦ではない様子だった。 「友人たちや自分のためにランニングシューズを作って、それをいい費用対効果で売る。それはただの仕事ではありません。ただ楽しい、楽しい、楽しいことでした!」と、彼は言う。スタンフォード大学のランナーだったジョンソンは、1965年に創業者フィル・ナイトによってナイキの前身、ブルーリボンスポーツに雇われた最初の正社員となった。ナイトがブランドの頭脳だとすれば、ジョンソンは心臓だった。彼はスニーカーのマーケティングと販売という仕事に執念を燃やし、駆け出しのブランドに数え切れないほどの困難な局面を乗り切らせた。 「最初は私だけでしたから、床を掃いたり、荷下ろしに立ち会ってシューズを受け取ったり、マーケティングに携わったりと、何もかもひとりでこなしました」と、ジョンソンは当時を振り返る。また、彼には先見の明もあった。1971年、工場から最初のオリジナル・シューズが出荷される直前、ナイトが新しいブランド名に頭を悩ませていたときのことだ。11時頃、“Nike”という言葉がジョンソンの夢に浮かんだ。そうして歴史は始まったのである。 当時のことについて、ジョンソンの言葉はあくまでも謙虚だ。「私たちはただ楽しく、懸命に働いていただけです。ましなやり方を知りませんでしたから」 ■ボーディ流に解釈された「アストログラバー」 ボーディ・アウジュラがナイキに惹かれたのも、このような創業の精神のためだった。ナイトの回顧録『SHOE DOG (シュードッグ) ―靴にすべてを。』を2016年に読み、その後も何度も読み返してきた彼女は、初期の社員たちの伝説的とも言うべき旺盛さや創意工夫、そして強固な連帯意識に感銘を受けた。「それは何かに情熱を傾けながら、自然体で仕事をしていた人々の物語でした」と、彼女は話す。 彼女が複数の世界的なスポーツブランドからコラボレーションの打診を受けるようになったのは2017年、ニューヨークのロウアー・イーストサイドにある自身のアパートを拠点に、ボーディが一点ものの服を売り出し始めてからわずか1年後のことだった。それでも彼女は、自身がコラボレーションをしたい相手はあくまでもナイキだとわかっていた。 「コラボのためのコラボには関心がありませんでした」と彼女は言うが、ジョンソンのような人物がまだ存命だったという事実もこのプロジェクトを大きく後押しした。彼女のデザインは手工芸の伝統や素材の文化的背景を丁寧に再解釈したもので、その創作プロセスには広範囲に及ぶ歴史のリサーチと何時間ものインタビューが含まれるのが常だ。それもこれも、長らく忘れられてきた魅力的な文化や伝統を、自身のデザインに取り入れるためである。 「ブランド草創期の人々に会って話を聞くことができたというのは、非常に大きなことでした」と、彼女は言う。「アメリカ的な物語です。大学を出たばかりの彼らは、最高のプロダクトを作ることに強い情熱を持って、ブランドをゼロからじっくりと成長させていったのですからね」 オレゴン州ビーバートンの本社を最初に訪問したとき、ボーディ・アウジュラは同州ユージーンに今もある、ナイキの共同創業者ビル・バウワーマンの地下室を見たいと申し出た。妻のワッフルメーカーを実験的に用い、革新的なワッフルソールを生み出したバウワーマンの作業部屋は、今もほぼそのままの形で残されている。「ナイキの社内見学ツアーには通常組み込まれていないところですけどね」と、彼女は笑った。 プロジェクトを通して、コレクションのミューズとなったのがジョンソンだった。ボーディ・アウジュラがニューハンプシャーにジョンソンを訪ねたとき、彼は『Sports Illustrated』誌の表紙を飾った最初のナイキ・シューズの話で彼女をもてなした。そのシューズこそ、USC トロージャンズのスター選手アンソニー・デイヴィスの足もとを飾った「アストログラバー」である。 ボーディ・アウジュラの父親が、ハイスクールのアメフトチームでキャプテンを務めていたのもこの頃だった。“家族”のモチーフはボーディというブランドの中核を成すものであり、彼女は自身のコレクションに一貫して自らの個人史を織り込んできた。コレクションのキャンペーンには彼女の父親がアメフトのユニフォームを着用して写った1971年の写真がフィーチャーされ、スニーカーには着け外しが可能なフットボール型の真鍮製チャームが付属する。このチャームは、彼女自身が長年身に着けてきた私物のブレスレットに似せたものだ。 ボーディ・アウジュラを知る人間からすると、彼女がスニーカーを手がけたこと自体が意外に感じられる。「自分ではスニーカーは履かないんです!」と言う彼女だが、「アストログラバー」には自身がこれまで惹きつけられてきたものと同じ、歴史に埋もれた魅力的な物語を見出すことができた。「アストログラバー」にはナイキ草創期の成功、そして失敗が体現されているという。 「あれは危険なシューズだったかもしれません」と、ジョンソンは言う。バウワーマンによる初期のワッフルソールを備えた「アストログラバー」は薄く柔軟で、機動力には優れていたがターフトゥ(地面を蹴り出す際に足裏の靭帯を損傷すること)の危険にさらされやすかった。「それでも『アストログラバー』は安価でしたから、選手たちには好まれました」 カイア・ガーバーのようなスタイルアイコンにもアピールするため、ボーディ・アウジュラはアッパーのシェイプとソールに微調整を施し、親しみやすいタイムレスなシルエットを生み出した。「ボーディについていつも言っているように、そのアイテムを撮影したときに、それがいつ撮った写真なのかわからなくなるようなものを作りたいと思いました」と、彼女は話した。 ■着想源はアメリカのスポーツ史 このプロジェクトはまた、ボーディ・アウジュラにとってスポーツ全般にまつわるより大きな物語を探究する機会にもなった。「Bode Recreation」は、「アメリカ社会におけるスポーツの重要性、より高潔な人間になるという人格形成の考え」に対する関心から生まれたと彼女は言う(それは、ナイトやジョンソンがランニングに関して持っていた考え方とまさに重なることは偶然ではない)。 ホッケーセーターやビブス、アメフトのジャージ、コーチジャケット、ショートパンツ、ベースレイヤーのサーマルパンツからなるアパレルコレクションのインスピレーションの一つとなったのは、記録上アメリカで初めて行われたとされる1756年のボートレースだった。一方はケープコッド、もう一方はマンハッタンからチームが出場した。「スポーツが組織化される前、レクリエーション用の服をゼロから生み出すとしたら、いったいどうすればいいのか?」。彼女はそう自問しながらコレクションを制作していった。 その問いへの答えは、ナイキでは「前例がない」というビーズの手刺繍が施されたトラックパンツに示された。一方サーマルパンツは、より現代的なスポーツウェアが登場する前、バウワーマンがオレゴン州の陸上チームをコーチしていた時代に着想を得ている。「ナイキのアーカイブ部門で、ビル・バウワーマンの教えていた学生アスリートの話を聞きました。学生たちがサーマルパンツ、つまり下着を穿いて走っているのを見た近隣の住人から苦情があったそうですよ!」と、彼女は笑って話した。バウワーマンは、チームのサーマルパンツをグリーンに染めることで苦情に対処した。 ボーディ×ナイキによるコラボコレクションは、東部標準時4月18日午後6時にbode.comで販売開始され、その後一部のナイキ販売店およびSNKRSアプリでも購入可能となる。このコラボで、ボーディ・アウジュラがヒットを飛ばすことは確実だ。しかし、正社員第1号は最新「アストログラバー」のことをどう思っているのだろうか? 私がジェフ・ジョンソンと話したとき、彼はまだ新作を見ることができていないと言った。幸運なことに、私はそのときすでにボーディ×ナイキによるブラックレザーの「アストログラバー」を手にしていた。Zoom越しに、私は彼にその一足を持ち上げて見せた。 「おお、いいね!」と彼は感嘆の声を上げ、ソールやアッパーについてじっくりと考察を始めた。「私たちが最初に作った、もっと大きなワッフルソールを備えたフットボール・シューズに似ているところがあります。2つのデザインを融合したようですね」と、彼は言った。「気に入りましたか?」と私が訊くと、彼は「ええ、それはもう! 素晴らしいシューズです」と答えた。我々を魅了し続けるナイキの長い歴史に、また新たな1ページが加わった。 From GQ.COM by Samuel Hine Translated and Adapted by Yuzuru Todayama