【レジェンドの素顔14】ステファン・エドバーグの前に立ちはだかるライバルたち│後編<SMASH>
大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ステファン・エドバーグを取り上げよう。 【動画】ステファン・エドバーグvsアンドレ・アガシ|ATPファイナルズ1990決勝|ハイライト 1987年、エドバーグの前に大きく立ちはだかっていたのは、ボリス・ベッカーとパット・キャッシュの2人だった。この2人に勝たないことには、エドバーグの王座はない。しかし、どうもエドバーグはこの2人を苦手としている。彼が、このライバルたちに打ち勝つためにはいったい何か必要なのだろうか。 ◆ ◆ ◆ “線”と“点”の勝負――勝機は自ずと生まれてくる 一見すると、エドバーグとベッカーのテニスは多くの共通点を持っている。2人とも攻撃的テニスをするし、強烈なサービスと切れのいいボレーを武器にする点も同じだ。しかし、細かく見ると、似ているようで、実はまるで似ていない。 例えば、サービス。ベッカーのサービスは、強い手首の返しがポイントになっている。そこに、誰にも真似のできない強烈なインパクトが生まれる。プレースメントなんかおかまいなしだ。とにかくハードに入れればいい、という感じ。その強引さがなぜかウインブルドンでは生きる。 一方、エドバーグのサービスは、スピードよりスビンとコントロールが重視されている。上体の反動を利用して、身体全体でヒットする。彼は一時期腹筋を痛めたが、それもサービスが要因と言われたほどだ。 ボレーに関しては、エドバーグはベッカーより自信を持っている。「ベッカーのボレーはたいしたことない」とはっきり断言するくらいだ。ベッカーのダイビングボレーがよく話題になるが、あれとてネットを取る位置が悪く、仕方なくダイビングせざるを得ないわけで、自分ならもう少しうまく立ちまわるとエドバーグは自負している。 このように、一見共通しているように見えて、実は決定的に違うのは、エドバーグがボールを“線”で捉えているのに対して、ベッカーが“点”で捉えていることだ。“線”と“点”。具体的にはどういうことなのだろうか。 エドバーグのオーソドックステニスには定評がある。彼は身体全体を使った、フォームの“型”を最優先させ、その一連の動作の中でボールを捉えようとしている。いわばスイングを“線”として完成させ、その中にボールを抱きこんでいるのである。爆発的なパワーは生まれないかわりに、安定感のあるプレーができる。 一方、ベッカーの各ショットはインパクト集約型である。体勢が崩れてもインパクトさえ面がしっかりしていれば、それでいいという考え方で、フォームにはそれほどこだわっていない。それを可能にしているのが、あの強靱な手首である。つまり、ベッカーにとってはインパクトという“点”が勝負なのである。 この自由奔放とも思えるベッカーのテニスに、エドバーグは戸惑いっぱなしだ。1986年セイコースーパーの決勝でも、第1セットにあれほど素晴らしいプレーをしながらタイブレークの末に落とすと、続く第2セットは1ゲームしか取れずにあっさり敗れてしまった。 このように、2人の対戦では“線”が“点”に息切れするシーンが目立つ。“点”で打たれたボールは予測しづらい。エドバーグにすれば、ベッカーの狙うコースが読めないまま余計な神経を使い、先に崩れてしまうのだ。同じく“点”で勝負するマッケンローにからっきし弱いのと同じ理屈だ。 しかし、“点”ゆえの落とし穴もあるはずだ。それはタイミングが狂いやすいということだ。“線”であれば多少タイミングが狂っても“線”上で修正が利くが、“点”は少しでも狂えば修正などできない。そのために、エドバーグはファーストサービスの確率を高め、常にネットに出てプレッシャーを与え続けることが肝心だ。中途半端はいけない。徹することである。 ゲーム運びのうまさでは、エドバーグに1日の長がある。強引に一発で決めていこうとするベッカーにプレッシャーをかけてタイミングを狂わせることができれば、勝機は自ずから生まれるに違いない。