羽田空港、東武との直通特急も乗り入れへ? 国が〝期待〟するアクセス利便性の向上とは「鉄道なにコレ!?」【第45回】
しかし、かつてJR東日本の前身の日本国有鉄道(国鉄)と東武は、日光東照宮や中禅寺湖などの名所を抱えた栃木県日光市を訪れる観光客の輸送で激しく火花を散らしていた。旧国鉄は日光線(宇都宮―日光間)の電化後に伴い、ビジネス特急「こだま」(東京―大阪間)に使っていた151系に準じた高級感のある車内空間にした157系を1959年9月に投入。急行に比べて料金を抑えた準急「日光」(東京-日光間)などに運用した。 金城湯池だった日光への観光客輸送を奪われる危機に直面した東武は、切り札として当時の私鉄特急では類を見ない豪華仕様の新型車両「デラックスロマンスカー(DRC)」1720系を特急「けごん」(浅草―東武日光間)などで1960年10月に営業運転を始めた。 DRCは座席間隔が1・1メートルと広く取った背もたれの倒れるリクライニングシートを設け、ライバルの157系に当初はなかった冷房を搭載。客室とデッキを仕切る通路部分の自動扉「マジックドア」は人が前に立つとセンサーが感知して開き、登場時は「子どもたちが珍しがって何度も行き来していた」(当時を知る鉄道愛好家)とされる。
レコードを聴けるジュークボックスを置いたサロンルームも備え、東武は「日光・鬼怒川エリアへの快適な旅を提供するアクセス特急として不動の地位を築いた」と振り返る。 ▽ライバルとタッグを組んだ理由 苦戦した国鉄は157系を冷房化改造して挽回を狙ったものの、不発に終わった。1966年3月に「日光」が準急から急行へ格上げされ、所要時間もサービスも“据え置き”になったものの料金が上がったことも敬遠された。 宇都宮駅に停車する東北新幹線が大宮(さいたま市)―盛岡間で部分開業した背景はあったものの、1982年11月に急行「日光」は廃止されて日光線での優等列車の定期運転は終止符を打った。 圧勝に終わったように映る東武も東京都内の起点が浅草駅のため、東京都西部からの集客では苦戦していた。共存共栄を目指してJR東日本と東武がタッグを組んだのが、2006年3月に始まったJRの新宿駅と東武日光駅・鬼怒川温泉駅を直通する特急の運転だ。