箱根駅伝最初の難所「権太坂」で女盗賊のハニトラ炸裂…!5億円の大金を抱える盗賊団とそれを追う火盗改の白熱の「ドタバタ逃走劇」
読みどころ
本作は、「鬼平」こと長谷川平蔵(1745~95)の活躍期を半世紀ほどさかのぼった時代が背景である。安部式部は、平蔵の大先輩にあたるわけだ。 部下のためには自腹を切ることもいとわない式部は、平蔵の祖形とみなせようし、筆頭与力の山田藤兵衛、雲霧一味に内通する岡田甚之助、忠実に職務を遂行する同心・高瀬俵太郎らも、鬼平シリーズに類型を見出せるだろう。 雲霧仁左衛門は稀代の大盗賊ではあるが、目的のためには手段を選ばずという非道な真似は断じてしない。押し込み先の様子は時間をかけて入念に調べ上げ、金品を奪ったあとは、雲や霧にまぎれたのかと思うほどの鮮やかさで逃走してのける。 鉄壁のチームワークを誇る火盗改と、首領の采配よろしきを得た盗賊団が、全知全能をかたむけての攻防戦を展開するのだ。面白くなかろうはずがない。 とりわけ、興味をひかれるのは東海道筋の宿場や立場、茶屋などに設けられた盗っ人宿の存在である。江戸のそれは船宿を表看板にし、伊勢国桑名の場合は旅籠であり、菓子屋であったりする。
憎めない盗人の大逃走劇
相模国の盗っ人宿は、保土ヶ谷宿の西はずれにある権太坂の茶店だ。坂上の、名もない小さな茶店である。茶店としての立地は悪くはないのだが、客はめったに寄りつかない。茶を出す老婆がむさくるしいのである。名は黒塚のお松。百戦錬磨の古狸だ。 茶店は一見、どこにでもありそうな造りだが、土間の奥に物置があり、自由に取り外しができる梯子をつたって屋根裏へ出られる。そこに部屋がふたつ。 その一つに寝そべって、冷酒をなめていた男が、 「や、これは小頭」 と、起きあがった。 佐原屋にいた因果小僧六之助であった。 小頭と呼ばれた木鼠の吉五郎と六之助が打ち合わせをしようとする場面だ。 東海道を上下する盗っ人どもは、駅伝ランナー顔負けの韋駄天ぞろい。ここと思えば、またあちら。火盗改めの腕っこき同心も、所在をつかむのに手を焼くほどなのだ。 木鼠だの、因果小僧だの、七化けなどというネーミングもまた、鬼平シリーズを想起させる。同シリーズへの傾斜が強ければ強いファンほど楽しめる一冊かもしれない。
岡村 直樹(ライター)