〈初告白〉渡邊渚インタビュー「PTSDであることを発表できなくて苦しかった」薬の影響で髪の毛が抜けたことも…でも「友人たちのおかげで生きていこうと思えた」
PTSDやパニック発作で、外出もできない状態に
ーー体調面では、過去にメニエール病を発症したことも明かされていましたよね。 2年前にメニエール病にかかってから、目が回ってしまったり、片耳が聞こえなくなったりといったことが頻繁に起きるようになってしまって。 仕事中は特に大変で、自分が話している音が正しいのか、わからなくなってしまった時期もありました。 加えてPTSDによって食事が摂れなくなったことで、生放送中に体がフラフラと動いていたことがあったようで。 カメラマンさんが「ずっと揺れているよ」とおっしゃっていたのですが、たしかにそのときは立っているのも辛く、手元の原稿の文字も歪んで見えて……。 画面や音としてはギリギリ放送できるラインを保てていたと思うのですが、知っている人には異様な状態に映っていたのかなと。 ーーそのとき、会社は休まなかったのですか? 実は長い休養に入る前、2週間ほどお休みをいただいたのですが、特番やチャレンジしたい仕事がたくさん入っていたので、すぐに現場に復帰したんです。 ただ、無理をしたぶん結局ガタが来てしまって。そのあと症状がどんどん悪化してしまい、1ヶ月で5kgほど痩せてしまいました。 もう立っていられない、歩くのも精一杯な状態で、最終的に医師の方に「入院しましょう」と言われたので、長期で休むことになったんです。 ーーインスタグラムでも、入院の様子は投稿されていましたね。入院中はいかがでしたか? 入院中はほぼベッドの上にしかいられなくて、動くこともままならない状態だったので、けっこう大変でしたね。 あと、PTSDの特徴的な症状の一つに「過覚醒」があるのですが、それによってささいな物音にも恐怖を感じて眠れなかったり、ストレッチャーを引きずる音が怖くなったり……。 とにかく常に気が張り続けていたので、まずはそうした覚醒状態を薬で抑えるところから治療を始めました。 ただ退院してからも、しばらくは家の中でしか過ごせなくて。同時にパニック障害のような症状も現れていたので、外出するのがとにかく怖かったんですよ。 電車やバスに乗るにもひと苦労。タクシーなんて到底乗れなかった。エレベーターも、知らない人が同じ狭い空間にいるのが耐えられなくて、使えなかったです。 ーーそこから、どのように回復していったのでしょうか? 小さなことのように聞こえるかもしれませんが、「今日はマンションを出るところまで頑張れた」とか、「近くのコンビニエンスストアに行って戻って来られた」とか、本当に毎日ちょっとずつ行動する範囲を延ばしていったんです。 そうした生活を数ヶ月続けたんですが、正直なところ、あまり回復しなくて。 ちょっと外出することができたり、自宅に友人が来てくれたりしたとき、その瞬間は楽しいのですが、少し先を想像して「何を目標に生きていけばいいんだろう?」という気持ちが襲ってきてしまって。 「“病んでいる”ってこういうことなんだ」と思いましたし、「なんで生きているんだろう」という気持ちというか……振り返ると、今年の初めのころは我ながら大変な時期だったと思います。