緊急搬送された妻を支えるため、34年間の野球人生にピリオドを打ったホークスの元タイトルホルダー~夫婦で歩む第二の人生~
「初めてのお客さんと話すのは難しいですね」 こう話すのは、今季まで14年間ホークスのピッチングコーチを務めた田之上慶三郎さん(52)。34年間の野球人生に自ら別れを告げ、第二の人生に選んだのはオープンしたばかりのカフェで妻を支えることだった。 【写真で見る】地元産商品も並ぶこだわりのカフェ「itoshimacco」
日本に5台しかないエスプレッソマシンがあるこだわりのカフェ
JR筑前前原駅から徒歩1分の場所に11月オープンしたカフェ「itoshimacco」。エプロン姿の田之上さんが接客に追われていた。木目調の調度品が揃う店内には、日本に5台しかないエスプレッソマシンや長時間座っても疲れないイスなど、お客をもてなすためのこだわりがあちこちに見られる。そこに併設されているのが明治30年創業の婦人服店で、今も地元で愛され続けている。
記憶に残る現役時代の華やかな活躍
田之上さんは、鹿児島の指宿商高から1989年にドラフト外でダイエーホークスに入団し、2001年には13勝7敗で最高勝率のタイトルを獲得した。ダイエーがリーグ連覇を決めた2000年10月7日のオリックス戦で勝ち投手になったのはホークスファンの記憶にも残っているはずだ。引退後はホークスとファイターズで計16年間コーチを務めた田之上さんが今季限りで球界を離れたのは、妻の体調を気遣っての決断だった。
家は不在がち「1年中、野球のことばかり考えていた」
「1年中、野球のことばかり考えていた」という現役時代、妻の真喜子さん(54)は3人の子育てに追われていた。「お父さんはなんで私たちと遊んでくれないの?」そんな子ども達をなだめるのも、真喜子さんの役目だった。野球のシーズン中はまだ納得できた。ただオフになっても真面目で律儀な夫は、昼はトレーニング、夜はシーズン中断り続けた近しい人達との食事などに出かけ、不在の毎日。「年に1回、夫婦げんかをしていましたね」と妻は振り返る。
多忙な妻が過労で倒れた
夫が現役を引退しコーチに転身、子育ても一段落した頃、兄から突然の電話。「店を手伝って欲しい」創業120年を超える婦人服店は真喜子さんの実家で、兄が家業を継いでいた。だが3年程前、病に倒れ、店に立てなくなったため、真喜子さんが店の経営を引き受けることになった。当時はコロナ禍もあって決して順風満帆というわけではなかった。「老舗のお店を、私がたたむわけにはいかない。新規のお客さんを開拓しなきゃ」そこで始めようと決めたのが、店舗の一部を改装し、常連客もくつろげるカフェや地元特産品の販売店を併設することだった。夫と同じく、仕事に妥協をしない妻は、内装や調度品に徹底的にこだわり、カフェの準備を進めた。準備に没頭し過ぎるがばかり、気が付けばお店で日付が変わっていたこともしばしば。だが、とうとう体が悲鳴を上げた。過労でめまい等の症状が出て救急車で緊急搬送。年末年始を病院で過ごすこととなった。