【三国志に見る上手い抜擢術】こころざしと、才能や能力のどちらが重要か?
■ 魏の賈詡や、劉備の盟友だった田豫に見る、「能力が高く、志が低い」場合 一方、「能力が高く、志が低い」人材も稀に存在します。代表的なのは、最終的に曹操の配下となった策謀家の賈詡(かく)や、初期のころに劉備と一緒に戦った田豫(でんよ)などでしょう。 賈詡は策謀家として突出して優秀でしたが、曹操以前には董卓やその他の武将の配下でした。張繡の部下だったときには、賈詡の計画した奇襲で、曹操は多数の部下と息子を失う大敗北を喫しています。にもかかわらず、曹操配下になっても厚遇され、二代目曹丕の指導役にもなるほどの能力がありました。 黄巾の乱で劉備と一緒に戦った田豫は、194年ごろに劉備と別れて、その後は曹操の配下となります。三国志ファンなら、もし優秀な田豫が劉備に付き従ったらどうなっていたか、想像を膨らませるような突出した武将・政治家でした。 賈詡と田豫の二人に共通するのは、突出した高い問題解決能力がありながらも、自分から高い目標や理想を掲げていないことです。一方で、上司から「この問題を解決せよ」と任命されると、他の人物ではとても不可能なことさえ成し遂げてしまったことも共通しています。 彼らは、自分の目標という意味での志は中程度でも、能力が突出した人材だったのです。このような人材は、リーダーが積極的に仕事を任せ、難局を担当させることでますますその人物を磨くことが可能です。 このような人物を扱うポイントは、「この人だけができるような難易度の高い仕事を任せること」です。野心はなくとも能力は突出して高いので、あまりに簡単な仕事を任せると、飽きて離れてしまう(離職)ことがあるからです。 ■ 野心が大きい者、志の高い者を扱うバランス リーダー自身も「志」と「能力」のバランスをとることが求められます。 リーダーの「志」が高くとも、自身の能力が同じレベルにないことはよくあります。その場合は、「志」を上手く掲げることと、自分より能力の高い他者を惹きつける「謙虚さ」が必要になります。 一方で、リーダーの「志」が低い場合、部下になった者や関係する人物の能力が高ければ、「下から見限られる」可能性が出てきてしまいます。その場合、少なくとも「志」を高く見せる演出が必要になるでしょう。企業であれば「もっとよい会社、もっとよい職場を実現する!」などの目標を掲げて進まないと、能力のある人材を社内に引き留めることが難しくなります。 「志と能力のバランス」は、部下だけでなくリーダー自身にも求められるのです。 能力は高いが、自身の野心(志)はそれほどでもない人物は、扱いやすいとともに、本人が手腕を発揮する仕事を与えてやる必要があります。一方で、リーダーはきちんと志を高く保たないと、足元を見られて優秀な人材は集団から離れていくでしょう。 野心が大きく、能力も大きい人物が、ごく稀に組織に加入することがあります。これは、魏における司馬懿(仲達)を思い浮かべると正しいでしょう。司馬懿は野心と能力をともに隠そうとしましたが、曹操はそれを見抜いていました。しかし2代目の曹丕は、そのリスクを見極めることなく早く亡くなったことで、魏帝国に悲劇が起こることになります。 志と能力が共に高い人物は、けっきょく「人臣にあらざるなり」つまり、人の下にいつまでもいる種類の人間ではないということになります。このような人物は、高いレベルの目標を与えておきながら、リーダー側は志を高め、仕組みで組織全体を統治する力を強めていく。 しかし、司馬懿を見る限り、いつまでも人の下にいることはできない人間は、やがて独立して自らの組織を持つか、会社を乗っ取るリスクまである。志と能力のバランスは、組織や人の未来の姿を予感させる要素だということもできるでしょう。
鈴木 博毅