キッシンジャー氏 軽井沢町に足跡 田中角栄首相と会談
冷戦時代の国際政治史に大きな足跡を残した米国のヘンリー・キッシンジャー元国務長官が死去しました。いまから半世紀前の1972(昭和47)年、中国との国交正常化に動き出した日本を、米大統領補佐官だったキッシンジャー氏が訪問。ハワイでの日米首脳会談を10日余後に控えた8月19日、当時の田中角栄首相とキッシンジャー氏は軽井沢町の万平ホテルで会談に臨みました。当時の模様を信濃毎日新聞の紙面を通して振り返ってみます。 【写真】キッシンジャー・田中角栄会談の模様
田中首相 キッシンジャー補佐官 軽井沢で会談
(1972(昭和47)年8月19日の信濃毎日新聞夕刊を基にまとめています) キッシンジャー米大統領補佐官は19日午前、軽井沢に静養中の田中首相を訪ね、予定を1時間も上回る約3時間にわたって中国、日米経済関係など両国をめぐる重要な懸案について会談。日米友好関係の強化、協力をさらに強め、ハワイ会談を成功させることで意見が一致した。
「中国」「経済」懸案を地ならし 復交への決意説明
軽井沢でのこの会談は31日、9月1日(現地時間)にハワイで開かれる田中首相とニクソン大統領の日米首脳会談に備えて、その中心的課題について、あらかじめ調整をしたいという米側の要請で開かれたもの。席上、田中首相は、キッシンジャー補佐官の求めに応じ、日本が中国との国交正常化に臨む態度を詳しく説明した。また、ハワイ会談のもう一つの重要な柱である日米経済、貿易関係の調整についても突っ込んだ協議が行われた。 キッシンジャー補佐官はこの日、午前9時すぎに東京からヘリコプターで軽井沢駅南のホテルゴルフ場に到着。直ちに車で別荘地帯にある万平ホテルに入った。ホテルでは約10分前に到着していた首相と、カメラマンのライトを浴びながら、握手を交わした後、同9時20分すぎから、すぐ別室での会談に臨んだ。