孤高のマラソン芸人「スマイルマン」よ、さらば! 各地の大会盛り上げ17年
全ての役目を終えたその男の背中には、清々しさすら漂っていた。地元・岡山のマラソン大会を中心に、17年間、盛り上げ役として活躍していたマラソン芸人「スマイルマン」が、今年の「そうじゃ吉備路マラソン」(25日・総社市)を最後に引退した。黄色い覆面マスク姿で、時にランナーを励まし、時に沿道を楽しませてきた。ラストランを終えた素顔のスマイルマンに引退の理由や今後の夢を聞いてみた。 【写真】笑顔がまぶしいスマイルマンの素顔はこちら ■マラソン業界で知られるマスクマン 「元気出していきましょう」「今日は全員が主役ですよ!」。ハイテンションでこぶしを突き上げながら疾走するマスクマンは、マラソン業界で知られるちょっとした有名人だった。彼の正体は、岡山市の指圧師、赤岩知政さん(35)だ。 もともと目立ちたがり屋な性格だった赤岩さんは、東京の専門学校生だった2007年、ハーフマラソンの大会に出場。当時はまだコスプレランナーが少なかった中、子どもの頃から好きだったプロレスの覆面レスラー姿で走ったところ、「マスクマン頑張れ」と会場の熱気が高まった。自分の中の「スマイルマン」が目覚めた瞬間だった。 それからマラソン大会を盛り上げる謎のマスクマンとしての日々が始まった。呼吸がしづらいマスクをしたまま、派手なアクションやかけ声を振りまくのは実はとても大変なこと。ピーク時はほぼ毎日20キロを走り込むなど、パフォーマンスに向けてトレーニングを積んできた。 ■コロナ禍ではまったお菓子作り そんなスマイルマンが、なぜ引退することになったのか―。赤岩さんは「体力と気力が限界を迎えました」と語る。2020年以降、コロナ禍でマラソン大会が軒並み中止になった。スマイルマンとしての活動を生きがいにしていた赤岩さんにとってもつらい時期だったという。 そんな折に、友人から勧められたのが「お菓子作り」。小学校の家庭科以来、やったことはなかったが、ケーキやクッキーを作り、知り合いにプレゼントすると、「おいしい」と喜んでもらえた。それからお菓子作りにはまり、本棚はあっという間にスイーツのレシピ本で埋め尽くされた。本業の指圧師としての仕事も忙しくなり、お菓子作りにもはまる中、満足にマラソン練習ができなくなっていったという。 もう一つは「賛否」の「否」の声をスルーできなくなってしまったことだ。スマイルマンとして活動する中で、「楽しい」「面白い」と言ってくれる人もいれば、「何、あの人?」「気持ち悪い」といった声もあった。「若いころは全然気にしなかったのですが、30代に入ってから、心にグサっと刺さるようになった。ザ・ドリフターズのいかりや長介さんが、お笑いから俳優に転向された時もこんな気持ちだったのかなと想像しました」と語る。 ■最後は吉備路でリベンジ ハーフなども含め、90回以上マラソン大会を走ってきたスマイルマンがラストランに選んだのは「そうじゃ吉備路マラソン」。実はこの大会には苦い思い出があった。 スマイルマンとしての活動が10年目となった2016年に新聞で大きく紹介された。その年に「そうじゃ吉備路マラソン」の新聞特集ページでも取り上げられ、最高のパフォーマンスを見せようと気合十分で大会に乗り込んだ。 スタート3時間前から会場を歩き回り、たくさんの人に声かけをして盛り上げていた。走る前から相当な体力を使い、ろくに水分補給もしないままスタート。ところが、すでに満身創痍(そうい)。30キロ地点で、ふらふらし、脱水症状で救急搬送された。「気づいたら、救護室にいました。本当に情けなくて、消えたいと思いました」と振り返る。 本業の資格試験の時期と重なったり、コロナ禍で大会が中止になったりして、なかなかリベンジできずにいた「そうじゃ吉備路マラソン」。忘れ物を取りに行こうと、スマイルマンとしてパフォーマンスする「最後のステージ」に選んだ。