小倉久寛、人生のチェンジは「三宅裕司という人間と出会ったことが、すべて」見いだされた強み“ひとり落差”の正体
シリアスからコメディまで、幅広い作品で唯一無二の個性を放つ俳優、小倉久寛。劇団『スーパー・エキセントリック・シアター』の旗揚げから45年間、三宅裕司と共に歩み続けてきた小倉久寛のTHE CHANGEとは──。【第1回/全4回】 ■【画像】小倉久寛の強みを見いだした三宅裕司含む豪華面々との貴重なオフショット 「ぼくがいま、俳優をやれているのは、三宅裕司という人間と出会ったことが、すべてです」 小倉久寛は、きっぱりと言い切った。 「ぼくが大学を卒業するころは、オイルショックの影響で就職難だったんですね。で、どうせ就職ができないんだったら、しばらくは楽しいことをしようかな、とのんきに考えていたんです。ちょうどそのころ、ぼくは中村雅俊さんが演劇青年を演じた『俺たちの祭』(日テレ系)というテレビドラマに夢中で、稽古場でワイワイやって、そのあと居酒屋で演劇論を闘わせたりする“劇団”っていうのが、すごく楽しそうに見えたんですよね」 そんなとき、何気なくページをめくっていた情報誌で『劇団大江戸新喜劇 旗揚げ公演』という文字が目に飛び込んできたという。 「劇団、新喜劇、旗揚げ……並んでる言葉が全部良かったんですよね。なにしろ芝居のことなんて何も知らないから、できたばっかりの劇団が、ドタバタ楽しく騒ぐお芝居なんだと思って、見に行ったんですよ」
すでに劇団の主演として活躍していた三宅裕司
そこで主演していたのが、三宅裕司だった。 「かっこよかったんですよねぇ~! スラッとしてて、顔もまぁまぁ二枚目だったし。いや、いまでもカッコいいですけどね(笑)。そのカッコいい三宅さんが、おもしろいことをやっているというのが、衝撃的でした。芝居が終わったあとすぐに受付に行って“この劇団に入れてください”って頼んだら、“そういうわけにはいきません。オーディションを受けてください”って言われたんですけど、オーディションという言葉の意味もわからず(笑)。なんだそれ? と思いながらも、場所と時間を教えてもらって足を運んだんです」 ところが……というか、当然ながら……というか、もちろんオーディションで小倉は何もできなかった。 さらに、ところが、である。なんと小倉はオーディションに通り、劇団『大江戸新喜劇』の団員になれたのである。 「たぶんなんですけど、三宅さんが“おもしろい”って感じてくれたんじゃないかな。三宅さんは常々“喜劇っていうのは、落差があればあるほどおもしろい”って言ってて、ぼくにそれを感じてくれたんじゃないかと。見た目がこんなだけど、学生時代に体操や空手をやっていたから身体が動く。見た目はこんなだけど、声はいい。よく三宅さんはぼくのことを“ひとり落差”って言うんですけど、最大の褒め言葉だと思っています」 1979年。三宅は劇団『スーパー・エキセントリック・シアター』を結成し、小倉はその一員として「ひとり落差」の魅力をますます発揮することになっていく。 小倉久寛(おぐら・ひさひろ) 1954年10月26日生まれ。三重県出身。学習院大学法学部を卒業後、劇団大江戸新喜劇を経て、1979年に劇団スーパー・エキセントリック・シアターの旗揚げメンバーとなる。以来、劇団の本公演だけでなく、舞台、映画、テレビドラマで活躍すると共に、バラエティ番組、ナレーター、声優としても活躍。主な出演作は、映画『千夜、一夜』(2022)、連続テレビ小説『らんまん』(NHK総合)、土曜ワイド劇場『おかしな刑事 シリーズ』(テレビ朝日系)など。 工藤菊香
工藤菊香
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