落語「片棒」にみる後継者・相続問題の難しさと笑い話では済まない奥深さ 21世紀ではうまいオチが付けにくい時代に
【マネー秘宝館】 なんでも人間が目で見て脳で一瞬に識別できる棒の数は「3本」が上限だそうです。だからローマ数字は1・2・3をⅠ・Ⅱ・Ⅲと棒の数で表記しますが、4になると形が変わってⅣになります。中国の漢数字でも同じで1・2・3は一・二・三と棒の数ですが、4になると四と形が変わります。目で判別できるのは3本が限界だということですね。目で見にくいのもそうだし、麻雀「四萬」牌が棒4本だったら盲牌できる気がしません。 3までなら視覚的にも触覚的にも把握しやすい、そして思考的にも「3つ」までは把握しやすいのでしょう。私が昔コンサルティング会社にいたとき、外国人の上司からよく「ポイントを3つにまとめろ」と言われました。確かに「3」は物事を整理する上でまとめやすいのです。2つだと少なすぎるし、4つだと多すぎる。だからきっと信号機も3色なのです。 そしてまた、世界各地の童話や物語には有名な「三匹のこぶた」をはじめ数多くの3兄弟が登場します。3人を登場させると、それぞれのキャラクターを特徴付けやすいのでしょう。わが国の古典落語にもたくさんの3兄弟が登場します。 落語の「片棒」に登場するのは松太郎・竹次郎・梅三郎の3人。彼らは父親の葬式をめぐって「まったく違う3つの意見」を出します。 長男・松太郎は世間体を気にして「派手な葬式を出しましょう」「引き出物もド派手に」と言ってケチの父親をあきれさせます。次男・竹次郎は、芸者衆を呼び、からくり人形も出してお祭り騒ぎにしましょうと言い、怒った父親に追い出されます。三男・梅三郎は節約のために「死骸を丘の上にほっぽり出し、鳥につつかせましょう」と提案。さすがにそれはないと父親が言えば、極力金を使わないケチケチの葬式を提案します。死骸は桶に入れて、天秤棒で担げばいいではありませんか、と。片方は自分が担ぐとして、もう1人の担ぎ手の心配をしたところ、ケチの父親が「心配するな。俺が担ぐ」と、これがオチです。 さて、みなさんこの「片棒」という話、ただの笑い話には思えません。そこには後継者問題・相続問題が横たわっています。ちなみに「自分の葬式」について尋ねた父親は、「誰を後継者にするか」を決める試験としてこれを出しています。