落語家・露の新治「落語は喜んでもうてなんぼ」 落語界の現状と課題 最近はオンライン稽古も
落語家・露の新治(つゆのしんじ)さんが、このほどラジオ番組に出演。令和時代の落語の現場や課題から自身の落語論まで、幅広いトークを展開しました。 【関連】月亭方正の初弟子 落語家・月亭柳正 修業中“一度だけ怒鳴られ”教わった心得「師匠は常に人に感謝」 露の新治さんは、1951年大阪市生野区生まれ。24歳のときに、林家染三さんに入門。当時からテレビ・ラジオに出演し、1982年に露の五郎門下に移りました。現在も、各地の落語会に出演するなど、活躍を続けています。 ラジオに出演したこの日も「このあと新開地の喜楽館に出るんですよ」とコメントし、忙しい合間を縫っての出演であることを明かしました。 露の新治さんは、奈良県の夜間中学設立運動にも従事。活動を通して学んだ人権感覚をいかした「新ちゃんのお笑い人権高座」は、全国で大好評を博しています。 2015年には、人権高座の功績が認められ、第6回奈良人権文化選奨を受賞。さらに同年、「露の新治寄席」の功績で第70回文化庁芸術祭賞優秀賞も受賞しています。 当時について、露の新治さんは「お笑いが人権文化やと初めて認めてもらえた、と喜びました。私の人生のハイライトです」と振り返りました。 近年は落語ブームが訪れているといわれているものの、「コロナの時期から回復したのは本当に人気のある人だけ」とひと言。現在の落語界においては、コロナ禍以前ほどの客足には戻っていないのだといいます。 自身も、「芸名の『つゆ』を『ろ』と読まれて、『ロシア関係の人か?』と勘違いされたことがある」と謙遜(けんそん)。しかし、番組放送後すぐに高座に上がることからも活躍していることが伺えます。 最近の落語では、オンラインで稽古をすることもあるのだとか。ただ、露の新治さん自身は「ええか悪いかで言うたら、よくありません」と、歓迎はしていない様子。 しかし、「よくはありませんけども、仕方ないんですよ」と前置きをしたうえで、とあるエピソードを語りました。 「コロナ禍で在宅勤務いうのが増えました。それと同じで、東京の噺家さんからお稽古を頼まれたんで、東京の寄席へ出るときに1~2回お稽古をしました。そやけども、(お稽古は)なんべんかやらんと仕上げまでいきません。私は奈良に住んでるんですけど、(東京の噺家さんが)わざわざ奈良まで来たんですよ。ただ、毎回(奈良に)来るわけにもいかんから、『もうここまで仕上がってたら、あとは大体の雰囲気を見せてもうたらええから』と。それで、『オンラインがあるからやろう』とやったことがあるんです」(露の新治さん) オンラインでのお稽古を良しとはしないものの、時代の流れに柔軟に合わせて稽古をしているとのことでした。 最近の若手について尋ねられると、「私からしたらね、頭が下がりますよ。いまの若手の人は立派ですよ。素晴らしいと思いますね。これはヨイショやなしに、真面目です。ほんで、新作を作ることができる人が多いんです」と褒めちぎり。 新しく変えていくことは落語にとって良いことだと考えているそうで、その真意については、「(落語は)大衆芸能ですからね。芸術ではないんですよ。お客さんに喜んでもうてなんぼや、というのが最優先」だと語りました。 「落語ってほんまにね、特殊な芸能やと思うんです」と、露の新治さん。続けて、「(落語は)なんでもない、普通にしゃべるだけでしょ。けどね、ありとあらゆるもんがそこに描ける。座ったままでね。だから、ものすごい空間も獲得できるし、時系列も関係ないし」と話します。 今後の落語界について、「ビジュアル全盛の時代に、しゃべりと表情と所作でどこまで通じるかということ」が課題だと提言。 落語という情報提供が少ないぶんだけ、観客の想像力に依存するため、「想像力をかきたてられたとき、人間ってほんまに楽しい。お客さんとうまいことバチッとハマったときは、映画やテレビやなんやらより、それはもう、もっと違うもんを感じてもらえると思う」と落語論を展開しました。 さらに、「お客さんの頭の中のスクリーンに、ありありと絵が描けたときには、映画とかああいうビジュアルもんに負けへんだけの力を持ってる。だから(落語は)これからも続いてほしいし、続くと思ってます」と熱弁しました。 ※ラジオ関西『Clip木曜日』より
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