「付き合う=カラダの関係」がムリな女性たち――「恋愛はしたい」のにナゼ?
価値観を変えてでも一緒にいたいと思わせられればOK
しかし、「付き合っても性行為しなくてもいい」という価値観の女性は、必ずしも同じ価値観の人を見つけないといけないわけでもありません。 「付き合う=カラダの関係」という価値観の男性と付き合っても、性行為をさせずに、それでいて相手の男性に満足感を与えられればいいわけです。 これが先ほどの後者の、性行為以外の“価値”を提供できていないことがダメだとする主張に合致するところ。「付き合う=カラダの関係」と考えている男性がたとえ性行為できなくても、自らの価値観を変えてでも一緒にいたい女だと思わせられればOKなわけです。 けっきょくのところ男女間のパワーバランスの問題で、追いかけているほうより追われているほうの力(=主導権)が強くなるもの。両者の価値観が違っても自分がパワーバランスで勝っていれば、相手の価値観を捻じ曲げさせることができるようになるわけです。
「価値観が違う」なんて普通のこと
もしかすると「相手の価値観を強引に変えさせるなんてよくない!」と感じた人もいるかもしれません。ですが、あらゆる物事に“価値観”は存在し、何百何千という項目があるため、そのすべてが合致する相性バッチリの相手と出会えることなんて、ほぼありえないのです。 つまり、価値観が違う者同士でも恋愛関係になるのは当たり前のこと。そして、どちらかの価値観に合わせなくてはいけないというシチュエーションでは、どちらかが自身の価値観を押し通して、どちらかが我慢して合わせなくてはいけません。 「付き合う=カラダの関係」という価値観が注目を集めやすいトピックで、令和のいまだとなおのことSNSでも議論に発展しやすいわけですが、“価値観の違い”にどう対応するかということ自体は、ごくごく普遍的な問題(=よくある悩み)でしかないということなのです。
“若者の恋愛離れ”は「ゆゆしき問題」ではない?
価値観の多様性を尊重する時代ですから、「付き合う=カラダの関係」という価値観に抵抗がある人が、恋愛に消極的になるのは止められないでしょう。 マクロ視点で日本の将来を考えた場合、昨今の出生率の低下はゆゆしき問題ではあります。けれどミクロ視点で考えた場合、べつに恋愛なんてしなくちゃいけないものでもないのですから、“若者の恋愛離れ”は「ゆゆしき問題」ではなく「ただの現象」。 個々人の価値観に寄り添っていくのであれば、“若者の恋愛離れ”はまずい状況でも、いけないことでもないのです。<文/堺屋大地> ―[ゼロ恋愛 ~経験値ゼロから学ぶ恋愛講座~/堺屋大地]― 【堺屋大地】 恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。現在は『現代ビジネス』、『文春オンライン』、『smartFLASH』などにコラムを寄稿。LINE公式サービス『トークCARE』では、カウンセラーとして年間で約1500件の相談を受けている。X(旧Twitter):@SakaiyaDaichi
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