「戦艦大和」に乗り込んだ22歳の元・東大生が、出撃の朝、33歳の乗組員を前に思ったこと
朝食
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。 【写真】戦艦大和のこんな姿が…! 呉工廠での最終艤装中の姿 そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。 本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。 吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。 やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。 その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。 同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。 たとえば、大和が出撃し、戦況が悪化しつつある4月7日の朝、乗組員たちは最後の朝食をとります。そこで吉田は、33歳の妻子持ちである乗組員を目にして、彼の人生と自分の人生と比較しています。同書より引用します。 〈尋常無事ノ気分ニテ味ワウ最後ノ食事ナラン 暗キ室内ニテ摂(ト)ルニ忍ビズ 電探室前ノ「ラッタル」ヲ攀(ヨ)ジ上リ、電波輻射用「ラッパ」ノ台上、一坪余リノ平面ニ出テ握リ飯ヲ頰張ル 大空ニ包マレタル絶好ノ位置 潮風ノ吹キ落トサント募ルヲ、柱ニ足ヲマキツケテ支ウ コノ好位置ヲ独占スルハ不可ナリ 電探名測手ノ片平兵曹ヲ呼ビ、膝ヲ接シテトモニ喰ウ 彼、黙々トシテ急ギ食シ了ルヤ、鋭ク会釈シテ去ル コメカミヨリ額(ヒタイ)ノアタリ、孤独ヲ求ムル焦躁ノ色アラワナリ 三十三歳、電探理論ノ精緻ト実測技倆ノ抜群ヲモッテ鳴ル彼、郷里ニ懐妊中ノ妻ヲ遺ス シカモ待チ焦レタル初子ナリ サレバ遂ニワガ子ト相見ルノ日ナカラン 子ハ父ノ呼気ニ触レズ、父ハ子ノ眸ヲ知ラズシテ散ラン 如何ニセンスベモナシ ワレ直属ノ上司ナレバ、手紙ノ検閲ヲ通ジ、コレラノ事情ニ通暁セリ 彼マタワガ熟知セルコトヲ知ル サレバ若輩独身ノ上官ヨリ、万一慰藉ノ言葉ヲキクコトヲ恐レタルカ 屈辱ニ堪エザルナラン 同ジ思イニ苦シム戦友同士ナラバ、慰メ合ウモ一時ノ興ナルベシ 陰性潔癖ナル彼ヨ ソノ偏狭ノ心境ノママニ果テンカ、再ビ妻ガウチニ生クルコトヲ得ザルベシ〉 〈ワレハ君ヲ慰メントハ欲セズ フサワシカラヌヲ知レバナリ ワガ願イハタダ最後ノ朝ヲ、爽涼ノ汐風ヲトモニ娯シマントノミ 顧ミレバ妻ワレニナシ 子モトヨリナシ ワガ死ヲ悲シミクルルハ親兄弟ノミ ワレ未ダカノ愛恋ノ焰ヲ知ラズ 死ニ臨ンデ、心狂ウマデニ断チ難キ絆(キズナ)ヲ帯ビズ ワレトカノ片平兵曹ト、イズレヲ幸イトシ、イズレヲ不幸トスルヤ タダ骨肉ノ嘆キニ送ラルルワガ安ライヲ、恵マレタルモノトシテ甘受スベキカ 心歪ムマデノ彼ガ苦悩ニ、ムシロ真ノ生甲斐ヲ見出サンカ 思イ耽リツツ虚(ウツ)ロニヒラク瞼、睡リヲ求メテ熱ヲ含ム 涼風、痛ミヲモッテ瞼ヲ洗ウ 朝ノ陽(ヒ)、雲間ヨリ鈍ク黄光ヲ波頭ニ照リ返シテ、眩クモ快シ 母ガ乳首ヲ離レ朝食ナルモノニ親シミ始メシヨリ、今日マデ幾千、幾万回コレヲ重ネタルカト心愉シク想ウ 「朝食」──今日ヲ限リニ、ワレトハ無縁ノ存在ナリ──何カ訝(イブカ)シク、笑イヲコラウ 海飽クマデモ青ク、重キ波舷側ヲ打ツ〉 「自分が死んでも悲しんでくれる妻子がいない」ことへの吉田のかすかな悲しみが感じられます。 * 【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。
群像編集部(雑誌編集部)