入江陵介が挑戦する「幼い頃からの夢」 競泳日本代表務めた18年「ここまで続けてこられて幸せだった」
競泳男子背泳ぎで五輪に4大会連続出場した入江陵介(34)=イトマン東進=が3日、現役引退を表明した。3月のパリ五輪代表選考会で日本競泳初の5大会連続出場を目指したが、落選。この日都内で会見に臨み「大好きな水泳をここまで続けてこられて幸せだった」と、2006年から18年間務めた日本代表にも別れを告げた。今後は水泳指導を軸に、大学院進学にも意欲。「幼い頃からの夢だった」というキャスター挑戦など幅広い活躍を思い描いた。 【写真】北島康介さんの花束贈呈に涙 時折、声をつまらせながら、入江は18年間に思いを巡らせた。この日は水着でもジャージーでもない、黒いスーツ姿で登壇。緊張気味にマイクを握り「私、入江陵介は、引退を決意させていただきました。高校2年生で初めて入って18年間、日本代表として戦うことができて幸せでした」。目は潤んだが、表情は晴れやかだった。 5大会連続の五輪出場をかけ臨んだ代表選考会。100メートル2位、200メートルは3位で代表権を逃した。「今年で引退することは決めていた」と34歳。思い描いた最終地点はパリだっただけに悔しさも残るが、19歳の竹原秀一(東洋大)が初代表を決めた200メートル決勝直後、自然と思いは湧いた。「若い選手が活躍してくれる雰囲気が競泳界にみられた。もう、自分の出番や場所はないんだなと」。08年北京五輪からトップを走り続けた日本のエースは、バトンタッチの役目を果たした。 12年ロンドン五輪では、200メートル銀など3個のメダルを獲得。日本選手権は100、200メートル共に10連覇、世界選手権は8大会連続出場と数々の功績を残した。近年成績では苦しみながら、自らを駆り立てたもののひとつがメドレーリレーへの使命感。ロンドン五輪では、北島康介さんらと史上初の銀メダルを獲得。「みんなが跳びはねて泣いて喜んでくれていた。あの光景をもう一度見たい気持ちを持ってやってこれた」と、日本代表を誰よりも思っていた。 今後はイトマン東進に所属を置き、幅広く水泳の普及活動に携わるという。大学院進学も視野に「スポーツマネジメントや、スポーツ政策や心理を学びながら、選手のサポートをしたい」と第二の人生を語った。また、幼い頃の夢はアナウンサーだったことも明かし「今までは伝えてもらう立場。伝える立場にもなってみたい」という目標も明かした。「大好きな水泳をここまで続けられて幸せだった」。日本競泳界のレジェンドのひとりとして確かな足跡を残した。(大谷 翔太) ◆入江に聞く ―こみ上げる思いも。 「スッキリとした気持ちと、どこか悔しい気持ちと、晴れやかな気持ち」 ―今やってみたいこと。 「パリに行きたい気持ちがすごく強い。観光でも何でもいいから行きたい」 ―水泳を続けられた理由。 「根本として、水泳が好きだった。あとは負けず嫌いだったので、金メダルやトップを目指して続けてきた」 ―東京五輪後に、引退を考えた時期もあった。 「東京五輪が20年に開催されていたらやめていたかもしれない。無観客開催でさみしい気持ちもあった。世界水泳福岡も延期になり、いろんな延期が続き気がつけば翌年がパリ五輪で、目指す形となった」 ―五輪の魅力。 「言葉では表せない楽しさ、雰囲気、どこかやみつきになってしまうのが五輪」
報知新聞社