NSR250Rが頂点を極め、ゼファーが登場した──日本の名車100選【昭和63~平成元年編】
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち〈その9〉
毎年のように新技術が投入され、日本の4メーカーが世界4大メーカーとして覇権を争っていた時代。250&400レプリカは究極形態へ達し、馬力自主規制の発動からブーム衰退へ向かっていった。 【写真】'88NSR250R、後方排気TZR250、RGV250ガンマほか
ハチハチ、レーサーと同時開発、後方排気など様々なワードが巷に踊る
群雄割拠のレーサーレプリカブームはやがて、決定版ともいえる’88NSR250Rの登場でピークを迎えていく。「アルミフレーム」「TZと同時開発」「後方排気」「RS250のパーツがそのまま使える」「配線1本で58ps」など、様々なワードが巷でささやかれたり、時には声を大にして「どっちが速い!?」「パラ2こそ正義、V型は音が……」などと言い争われたりもした。 そして平成元年、レプリカブームに終止符を打つことになるバイク、ゼファーが登場する。スペック至上主義から、バイクらしいバイクへ。熱狂の時代は過ぎ去り、現代へと続くバイク文化が成熟をはじめることになる。平成元年には手塚治虫や美空ひばりが死去したほか、ゲームボーイの発売やNHKの衛星放送開始といった出来事があった。たった2年の間に、時代は劇的に動いた。
HONDA NSR250R SP──人気、実力ともに最強リアル公道レーサーの決定版
大ヒットしたヤマハTZRの対抗馬として’86年10月、ホンダがNSR250Rを送り込んだ。その走りは衝撃的だった。以前から市販レーサーと共同開発したモデルは存在したが、NSRはレーサーRS250Rにそのまま保安部品を装着したような仕上がりだったのだ。新作の90度Vツインは全域パワーバンドを獲得。目の字断面のアルミフレームもRS譲りで、車重はクラス最軽量を誇った。 改造範囲が狭いSPレースではNSRでなければ勝てないほど強く、爆発的なセールスを記録。’88年型で早くもフルチェンジし、電子制御のPGMキャブや5角断面フレームを採用した。歴代最強の呼び声も高く、市販バイク初のマグネシウムホイールを奢るSPも追加された。 【HONDA NSR250R SP 昭和63(1988)年】主要諸元■水冷2ストローク並列2気筒ケースリードバルブ 249cc 45ps/9500rpm 3.8kg-m/8000rpm■126kg(乾)■F=110/70-17 R=140/60-R18 ※諸元は1988年 【NSR250R 昭和52(1987)年】TZRの登場から11か月後にデビュー。排気デバイスのRCバルブなど’85~’86WGP250 のメーカー部門を連覇したNSR 譲りの技術を注入した。