若年性認知症の母へ娘の想い 強い母が泣いた夜 それでも私のことを一番に考えてくれる 2人の夢きっとかなえるね
「認知症になった母のこと、全然嫌じゃないんです。むしろ、なんだか柔らかくなったのはいいなって思ってます」。望美さん(19)=広島市、仮名=はふんわり笑う。 【写真】母と娘のスマホに旅行先で撮った写真がたくさん保存されている 市内の専門学校に通う1年生。母春子さん(51)=同=と2人で暮らす。3年前、母から若年性認知症だと聞かされた時は、事の深刻さが分からなかったという。「だって、お年寄りの病気でしょって」。目の前の母はいつも通り、毅然(きぜん)としていた。動揺していることも、深く傷ついていることも気づかなかった。
■落ち込むこともある。母が悪いわけじゃないのに
でも、ある夜のこと。母の寝室から泣きながら電話している声が聞こえてきた。病気のことを話していたようだ。母にどう声をかけていいか分からず、込み上げた不安を飲み込んだ。病院に付き添った叔母に聞けば、母は診察室でも先生や看護師さんの前で泣いたらしい。あんなに強いお母さんが? ショックだった。 思い返せば診断を受ける少し前、母は怒りっぽくて、ささいなことでも大声を出した。きっと仕事のストレスだと思っていたが、認知症の影響だったのかもしれない。 「症状は進んでいます」と望美さんは言う。母はいつも探し物ばかりしている。「ねえ私、薬飲んだ?」と何度も聞いてくる。「さっき飲んだばっかりじゃん」。つい口調がとげとげしくなり、落ち込むこともある。母が悪いわけじゃないのに。 そんなモヤモヤを察しているのか。母が最近、認知症になってから知り合った仲間を紹介してくれた。いい人ばかりだった。みんなに打ち解け、楽しそうな母を見て、望美さんはほっとしたという。以前の母は人付き合いが苦手で、一人の時間を何より好んだ。「ずいぶん変わりました」
■推しのコンサートに付き合ってもらったり、あちこち2人で旅したり
一方、相変わらずちょっと頑固で強気なところは、お母さんらしいなあと思う。ある日、こんなことを言われた。「専門学校卒業したら大阪で働きたいんよね? 絶対に実現させんさい」。母も学生時代、福岡での暮らしに憧れたが、かなわなかったのだという。「私みたいに後悔せんよう、あんたは頑張るんよ」とも。私のことを一番に考えてくれるところは、やっぱり変わっていない。 そんな母と過ごす時間は、病気が分かってからずいぶん増えた。去年は推しのコンサートに付き合ってもらったり、あちこち2人で旅したり。旅先ではおそろいの財布を買ってもらった。夏には、実在する若年性認知症の男性を主人公にした映画「オレンジ・ランプ」も一緒に見た。「お母さんもあんなに忘れるようになるのかな」と、少し不安になったけれど…。 「この先どうなるか。遠い未来のことは考えられません」。それが望美さんの正直な気持ちだ。今は母の言う通り、自分の夢をかなえよう。それがきっと、母の望むことでもあるはずだから―。 ただ、母を1人残すのは、やっぱり心配でもある。「私がそうだったように若年性認知症を知らない人は多い。母を『何もできない人』と決めつけたり、仲間外れにしたりしないでほしいです」。娘としての切実な願いだ。
中国新聞社