「日本語の起源」には「中国語のリミックス」があった…日本文化の確立を促した「最大の事件」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか? 【写真】「日本語の起源」には「中国語のリミックス」があった! 昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。 2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。 ※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
中国語を「リミックス」する
『日本書記』の推古天皇28年(620)に、聖徳太子と蘇我馬子が『天皇記』と『国記』の編述にとりくんだという記事があります。どんな人物が筆記したのかはわからないのですが、180部をつくり、臣や連、伴造や国造に配る予定でした。 このとき、おそらく中国語ではない「中国的日本語のような記述」が誕生したのだろうと思います。いわばチャイニーズ・ジャパニーズです。ただし、この『天皇記』と『国記』は乙巳の変(大化改新)のとき、蘇我蝦夷の家とともに焼けてしまった。 まことに残念なことですが、さいわい天武天皇のとき(681)、川島皇子と忍壁皇子が勅命によって『帝紀』と『旧辞』を編纂することになりました。これは天皇の系譜を綴った皇統譜とその関連語彙集(ボキャブラリー集)のようなもので、日本各地の日本人の名称や来歴が記録されたのです。まさに産土にもとづいた記録です。 当然、漢字ばかりのものです。しかし、これも中国語ではない。やはりチャイニーズ・ジャパニーズっぽいものでした。しかもこのとき、この中身を稗田阿礼が誦習して半ばを暗記した。 稗田阿礼という人物はまだ正体がわかっていないので、ひょっとしたら一人ではない集団名だったのかもしれないのですが、それはともかく、阿礼は『帝紀』や『旧辞』の漢字漢文を中国語で誦習したのではありません。日本語として誦習した。 ついで和銅4年(711)、元明天皇は太安万侶に命じて『古事記』を著作させました。目的は「邦家の経緯、王化の鴻基」を記しておくことです。ここでついに画期的な表現革命がおこりました。 太安万侶は稗田阿礼に口述させ、それを漢字4万6027字で『古事記』に仕上げるのですが、表記に前代未聞の工夫をほどこした。漢字を音読みと訓読みに自在に変えて、音読みにはのちの万葉仮名にあたる使用法を芽生えさせたのです。