34歳で余命宣告を受けた写真家が、幼い息子を「いじめ」から守るために考えた3つの方法
写真家である著者は、34歳になった2017年にガンを発病し、余命3年と診断された。前年に男の子が産まれたばかりだった。「お金で解決できることはお金で解決すればいいけれど、お金で解決できないことを、僕が残す言葉で、解決の糸口にしてあげたい」。その一心で、現在も活動を続ける著者が、「いじめと戦う方法」と「嫌な人からの逃げ方」を授ける。本稿は、幡野広志『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 優しくない社会で生きる息子には 優しさを持ってほしい ツバメの巣の中にもいじめはある。 4羽いるヒナのうちの3羽が団結し、弱い1羽をいじめれば、もらえるエサの量は確実に増え、生きのびる可能性も高まる。 イノシシにもニワトリにもいじめはあり、人間はどんな時代でも戦争をしている。 集団のなかでヒエラルキーをつくり、強いものが弱いものをいじめるのは、動物の本能だと思う。本能であるのなら、いじめがなくなることは絶対にない。 父親をガンでなくした息子も、いじめられるんじゃないかとよく考える。 「そんなことないよ」と人は言うけれど、東日本大震災のあと福島から避難してきた子どもたちが、いじめられているのが現実なのだ。 親をなくしたこと、なにかの被害にあったこと、貧しいこと、勉強ができないこと、体が小さいこと、内向的なこと。集団は、何かしら「弱さ」を見つけて叩きのめすし、その根底には「誰が強くて誰が弱い」という勝ち負けみたいなものもある。弱い子をいじめれば優越感にひたれるし、自分がいじめに遭うリスクもない。 今はまた、「自己責任」という言葉が大好きな人たちまでいる。 生活保護を受けている弱い人を「自己責任」「社会の迷惑」と集団で過剰に叩くのは、自分が楽しめていないから人に厳しくなっているのではないだろうか。 弱い人には事情があるし、その事情は本人にコントロールできないものが多い。 だから息子には、優しさを持ってほしい。父をなくすという「弱さ」を抱えるであろう息子が生きるのは、残念ながら優しくない社会だから、なおさらに。 ● 毒には毒で戦うやり方もあるが 息子に毒なんか蓄えてほしくない 息子にはまた、なんとなくまわりに合わせない、自分だけの価値観を持ってほしい。 僕のまわりにいる面白い人たちは個性の塊で、多様性の見本市みたいだ。みんなと足並みを揃える人たちより、輝いている。 だが、それは同時に、「みんなと違う」といういじめの引き金になるかもしれない。多様性が大切だと言われるが、人と同じであることを求められる日本で、いろいろな価値観が認められるのは、ずいぶん先の話だと思う。