1年以内に連絡すれば訴訟リスク…前職でつながった知人とビジネスを始める前に空けるべき"安全期間"
住まいやお金など家族を守るための完璧な防御法はあるか。仕事や職場の揉め事に遭遇したときの対処法とは。よもやのトラブルから身を守るために法律の知恵を味方につけよう。 ■会社を辞めるとき「名刺」は返却するべきか 会社を辞めることになり、デスクを整理していると出てきたのが、これまで交換した顧客の名刺。持ち帰っていいのでしょうか? 就業規則の運用細則のうえで、本人の名刺は制服やパソコンと同様、会社が従業員に備品として貸与したものであり、退職時には返却を求められることが大半です。退職後、その会社の名刺を使う根拠はなくなりますから、会社から支給された自分の名刺なら、基本的には返却しなければなりません。 では、顧客の名刺はどうなのでしょう。中古トラックを売買する競合他社に転職した従業員が、退職する前に自分が交換した相手の名刺データを入手していたことがわかり、その名刺データが「営業秘密」に当たるかどうか争われた裁判があります。判決は「営業秘密に該当しない」でした(東京地裁、令和2年10月28日)。その会社ではデータへのアクセス制限が設けられておらず「秘密管理性」に乏しかったことと、そもそも名刺は第三者に手交するもので「非公知性」が認められないとされたことが、判決の主な理由です。この判決に照らしてみると、このような場合は顧客の名刺は持って帰ってもOKになるでしょう。
■「顧客リスト」や「経験」はどうなるのか いまでは名刺管理システムを導入して、従業員が交換した名刺を会社に提出させ、データとして一元管理している会社が増えています。閲覧するのにはパスワードが必要で、従業員が退職したらパスワードは抹消されるようですね。 でも、仕事上の付き合いをきっかけに親密になってSNSでつながり、退職後も個人的な連絡を取り合うことがあるでしょうし、それを禁じることはできません。持ち帰った名刺やアドレス帳を見て、プライベートの連絡をするケースも同じと考えられます。 ここで問題になるのが、前職の会社で知り得た営業秘密を、転職先の会社で活用してしまうケースです。よくトラブルになるのが「顧客リスト」の持ち出しです。もちろん、もともと外部の人に見せるものではないリストであり、それに対するアクセスが厳格に制限されていれば、営業秘密に該当して持ち出しはNGになるでしょう。 しかし、長年にわたる付き合いで顧客の連絡先が頭の中に入っていたら、それを「持ち出すな」と言っても土台無理でしょう。そのほか、販売方法や人事管理のあり方だったり、会社の営業方針や経営戦略であったり、仕事をするなかで身に付けてしまった、会社にとって重要で社外秘の知識や経験が流出する恐れもあります。しかし、労働基準法の定めで「退職の自由」を持つ従業員にストップはかけられません。 ■「競業避止」で争ったヤマダ電機事件 そこで問題になるのが「競業避止義務」です。勤めている会社と競業する業務を行ってはいけないというもので、在職中は「信義則」に鑑みて労働契約に付随する義務として認められています。退職後も元従業員に競業避止義務を課す会社が多いのですが、一方で憲法は「職業選択の自由」を定めており、元従業員の転職を不当に制限すると民法上の「公序良俗違反」に問われることもあります。 この微妙な問題を考えるうえで参考になるのが、大手家電量販店のヤマダ電機で起きた事件です。販売方法をはじめとする重要な知識や経験を身に付けた店長職だった元従業員が、退職後すぐに競業他社に就職しました。ヤマダ電機は、最低1年は同業種に転職しないとした誓約書上の競業避止条項に対する違反を理由に、損害賠償を求めて裁判所へ提訴しました。 競業避止義務の有効性が争われたのですが、裁判所はヤマダ電機が不利益を受けることは容易に予想され、退職後1年という期間は不当に長いものではないと判断し、元社員に約140万円を支払うよう命じました(東京地裁、平成19年4月24日)。プライベートはともかく、少なくとも1年間は元顧客に仕事絡みで連絡するのはやめたほうがいいかもしれませんね。 この競業避止義務はいつまで続くのか。1年以内の期間については肯定的に捉えられている判例が多いですが、近年は、2年の競業避止義務期間について否定的に捉えている判例も出ているので、いつまでもNGというわけではありません。この辺は、会社も注意する必要があります。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月29日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 安中 繁(あんなか・しげる) ドリームサポート社会保険労務士法人代表取締役 社労士。労使紛争の未然防止、「週4正社員Ⓡ」の導入支援などを専門とする。著書に『すべての管理職必読! 困った社員対策マニュアル』がある。 ----------
ドリームサポート社会保険労務士法人代表取締役 安中 繁 構成=伊藤博之