IWAジャパン社長・浅野起洲さん死去【週刊プロレス】
インディー団体「IWAジャパン」の社長を務めた浅野起洲(本名、浅野金六)さんが11月12日、都内の自宅で病死していたことが明らかになった。享年72。 【写真】IWAジャパンにはテリー・ファンクも参戦! ムーンサルト・プレスで舞う!!
晩年、様々な病気を患っていた浅野さんは毎週月曜・水曜・金曜と定期的に透析をおこなっていたという。透析治療をおこなう予定だった11月13日(水)、迎えが来ても自宅から現れず、不審に思った関係者が自宅を訪れると、ベットにはすでに事切れた浅野さんの姿があったという。警察立ち合いのもと司法解剖などもおこなわれたが事件性はなく、病死と診断された。 宮城県岩沼市出身の浅野さんは上京後、飲食業やプロモート業などを営む傍ら、プロレスの興行も手掛けるように。1994年にはIWAジャパンを立ち上げ、川崎球場でのビッグマッチも開催するなどインディーファンの支持を得るように。また浅野社長のコミカルなキャラクターが受け、2000年代になると新宿二丁目を舞台とした“二丁目劇場”が話題になった。 2014年、脳梗塞を患ったことを機にIWAジャパンの活動停止を発表。今年10月にはトークイベントをおこない、杖を突きながら久々にファンの前に姿を見せたばかり。イベントが盛況に終わると、それに気を良くしたのかクリスマスイベントの開催に意欲。関係者にいさめられる、らしい姿を見せたばかりだったが、それからわずか1カ月、この世を去ってしまった。関係者によると本日午前、荼毘にふされたという。 ご冥福をお祈りいたします。合掌。
週刊プロレス編集部
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