上野勇希、KO-D無差別奪取の可能性は?「7月の両国で僕と闘った時までの上野だったら無理」――KONOSUKE TAKESHITAインタビュー(後編)
――もちろん勝敗も重要ですしそこに注目が集まるわけですが、もうひとつの勝負としてはどちらが存在感で持っていくかの勝負でもありますよね。 TAKESHITA その点も僕はフィジカルで相手のオーラを潰し続けてきたんで、ジェリコ相手でもできると思っています。TAKESHITA、存在感なかったなという試合は一度もAEWでしたつもりはないし。今回はDDTのリングであってもホームとは受け取っていなくて、すべてのお客さんがTAKESHITAを見に来るわけではない。ジェリコが見たくてやってくる人も確実にたくさん来るでしょう。それによって空気がジェリコに流れたとしてもフィジカルで圧倒して、最終的には「DDTってすごい、KONOSUKE TAKESHITAってすごい」って思って帰ってもらうのが理想ですよね。でも、そこで勝とうとする試合ではないんですよ。今はジェリコが勝って当たり前ではなく、僕がむしろ負けられない立場なんで。ケニー・オメガに勝ったことでこれからのプロレス人生はより“負けられない”を背負っていかなければならない立場になったということです。そしてジェリコに勝ったら、またそこで背負うものが増える。その十字架を背負って歩んでいく覚悟はできています。 【写真】秋山準からジャンピング・ニーを伝承された竹下
――TAKESHITA選手は世界の頂点に立つと宣言していますが、ジェリコも自身のフレーズの中で“Best in the world”と言ってきた存在です。 TAKESHITA その意味でも、ボクシングの世界タイトル戦が日本でおこなわれるようなものだと思ってもらいたいし、それをDDTのリングでできることが何よりも嬉しいですよね。 理想ではなく、現実のものとしての“世界”をDDTで展開できるんですから。そしてそれができるのは僕しかいないし、日本を見渡しても本当の意味での世界規模としてのことをやれる人間がどれだけいるか。野球でいうところのWBCやサッカーのワールドカップを日本が開催されたらを考えてほしい。 ――シングルマッチが決まったあと、AEWではタッグマッチと6人タッグマッチで対戦しています(10月25日現在)。実際に触れてみての気づきは何かありましたか。 TAKESHITA うーん、シングルはまた違いますからねえ。ちょっとマッチアップした限りでは、やっぱり日本っぽいですよ。ジャパニーズレスリングをAEWで感じるのはジェリコとブライアン・ダニエルソンのような日本のマットを経験した上で影響まで受けた人。そして、アメリカで成功を収めたのもそれを持っているからなんだなって感じるし、そういう時に、日本のプロレスのすごさを再認識しますよね。プロレスは闘いなんだということを感じさせる闘いをジェリコはやっている。 ――今回のドリームマッチが実現するのも、AEWという場を抜きには実現していなかったと思われます。自身のキャリアの中で、WWEではないアナザーとしてAEWが生まれためぐり合わせを客観的にどう受け取っていますか。 TAKESHITA 去年3月の両国国技館で遠藤哲哉に敗れてKO-D無差別級のベルトを失った時に、僕は「ここからが竹下幸之介の第2章」って言いました。その時、新しい世界に飛び込まないと見ている方も夢とか希望とかを託せないというか。僕はチャンピオンとして、もう1周も2周もしてしまっていたのでこの先何を見せられるのかといったら海を越えるしかないと思ったんです。そこでWWE or AEWっていう選択肢になるわけですけど、当時のAEWは男子のメイン級プレイヤーもそんなに人数はいなくて、ましてやシングルのベルトを巻いた日本人は女子を別としていなかった。その、誰もやっていないことをやりたかったんです。その時点では、まだAEWが今のように巨大なものになるかどうかなんて確信がなかったわけで、それでも自分の意志による選択だったんですね。そうしたら、そこから1年ぐらいでどんどん選手も増えていって、たぶんあと1年踏み出すのが遅かったら僕にチャンスはなかったと思います。こういうのはすべてがタイミングであって、僕をAEWにいかせた衝動的な何かが2021年の年末ぐらいにあったんです。コロナ・パンディミックによって日本のプロレスも声を出せないというのが続いた時に、これはプロレスをやっていてもしょうがないな、10年やってきたんだからもう十分じゃないか。だったら最後は挑戦してみたいと思ってアメリカにいったんで、それが導きというものだったのかもしれないし、確かに運命的なものでもあるんだなと思います。導いてくれたAEWと送り出してくれたDDTがなかったら今の僕はないわけで、その恩返しをするのはそれによって実現するクリス・ジェリコ戦というのが一番でしょう。 ――常々言っている世界の頂点というものは、ベルトを獲るとか誰かに勝つというものを超越した何かですよね。それは具体的な形として見据えられているんでしょうか。 TAKESHITA 世界中のプロレスファンが「今のプロレス界でタケシタが一番だ」って言ったらそれが頂点。そういうのって全員が一致した評価になるわけではないにせよ、現にAEW世界王座を持っているわけでもWWE王座を持っているわけでもないし、今現在はIWGP世界ヘビー級王者でもないけれど、僕は客観的に見てウィル・オスプレイは世界一という領域に足を踏み入れようとしていると思うし、今はシングルのチャンピオンではないけれど日本の一番は誰かと聞いたらオカダ・カズチカと答えるファンが多いと思うんです。だから自分もそうなるためには、一度は“世界”の名がつくベルトを巻くことも必要なんでしょうけど、それよりも世界中のプロレスファンの中で「タケシタが世界一」と言うようになれば、それが世界一のプロレスラーだということです。僕は21歳ぐらいの時から言っていたと思うんですけど、自分の全盛期はたぶん32歳ぐらいに来る。それは勘でもあるけどある意味、自分を追い込んでいるところもあるんです。 ――タイムリミットを定めるという意味で。 TAKESHITA そう。だから27歳でアメリカに出るのは早い方だと思われるかもしれないけど、32歳が全盛期だとしたらそう時間はない。プロレスラーとしての引退、本当のゴールは40歳と決めているんで、そこでまだ12年あると思うのか、もう12年しかないと思うのか。僕は常に生き急いでいるんであと12年しかないよ、全盛期なんてあと4年もすれば来ちゃうんだよと思っています。2、3年前までは描いていたプロレスラーとしての人生設計と比べると遅れをとっていると思っていましたけど、AEWに出ることでやっと追いついてきたかなっていう感じです。まだ足りないですけど。 ――達成できていることに関しては、その人生設計以上にいい形になっているのでは? TAKESHITA いや、僕の中ではあくまでもちょっと遅れをとっている、ですね。これじゃ、プロレスの歴史の教科書に載ったとしても真ん中ぐらいのページにちょっと載るぐらいで、表紙にはならないでしょうね。 ――世界プロレス史の表紙になると。 TAKESHITA プロレスラーになったからには、そうなりたいと思っているんで。でも確実に2023年11月12日、両国国技館のクリス・ジェリコ戦はその歴史の教科書で竹下幸之介のページが編集される上で記されることですよね。それはDDT26年の歴史の中でも大事件だし、今後これ以上のことはおそらくないと思うんで。