川久保玲の「怒り」――「闇の中で目を開けよ」と"黒の声"が迫る
バックステージに入ってすぐの場所に川久保さんの姿が見えた。私は情けなくも、ショーの感想とはまったく関係のない「あいさつ」のような一言を発するしかできなかった。私の隣にいた日本の新聞社の記者が速報のためにボイスレコーダーを持って質問する。「何に対する怒りですか?」 川久保さんはこう答えた。「特に自分自身への怒りです。何も思うようにできない」。記者が「世界に対しても?」と質問を続けると「それもありますけれど」と川久保さんは静かにつけ加えた。 「祈り」の白の次に現れたのは、「怒り」の黒。ショーに登場した17体のルックは、どれもが、内側から溢れる激しい感情が外へと歪に増殖して膨れ上がるようであった。その禍々しい強さはしかし、恐怖や憤りといった負の感情を想起させはしても、醜さの相貌とは無縁の、奥から蠢(うごめ)き光る美しさを発していた。硬質ななかに柔らかさを内包するレザーの質感が、その抽象的な両義性を支えているかのようだった。 川久保さんは「見たことのない新しさ」を常に目指しながら、経験を積めば積むほどそれが難しくなってくる、とここ数年何度も語っていた。しかし、その「苦しさ」が独自の方法論となり、誰にも到達できない「新しさ」を生むことにもつながってきた。では、今回はその流れがさらに難しさを増し、思うようにならない自身への込み上げる「怒り」に達したのか。一方で、世界に目を移せば、戦争の悲惨さは終わりの見えない状況にはまり込んでいる。憤りと寄る辺のない感情が渦巻く。無力感、苛立ち、不安。私たちはそれらの感情から、目をそらして何もなかったかのように日常をただやり過ごしてはいないだろうか。さまざまな感情を突きつけてくるモデルたちのアクションは、川久保さん自身に、そして私たちすべての生き方に対して、深く荒々しい問いを投げかけるものであった。 半年前に遡(さかのぼ)るが、昨年10月、パリ・ファッションウィーク中にコム デ ギャルソンのパリ店が同じフォーブル・サントノーレの表通りに場所を移転し、新装オープンした。地上3階、地下1階のフロアは以前の1.5倍の面積で、プレオープンの日には川久保さん自らがエントランスに立ってゲストを出迎えたという。 Comme des Garcons Paris shop adress: 56 rue du Faubourg Saint-Honore 75008 Paris open: Monday to Saturday 11am-7pm この新しいショップを見ることが、私にとって渡仏のひとつの目的でもあった。加えて今回は、ドーバー ストリート マーケット・パリのオープンもファッションウィーク中に予定されていたのだが、諸般の事情で2ヶ月ほど遅れることになり、「美しきカオス」をテーマにしたドーバー ストリート マーケットがパリでどのような姿になるのか確認することができなかったのは大変残念な思いだった。 パリから東京に戻ってすぐ、伊勢丹新宿店メンズ館にコム デ ギャルソン社のメンズブランドが集合した「コーナー・コム デ ギャルソン」がリニューアルオープンするニュースが届いた。川久保さんは、世界中のすべてのショップのコンセプトとデザインを考え、細部までチェックすることを欠かさない。この1年の間にも、多大な労力と時間をショップのクリエイションに注いでいたことは間違いないだろう。私たちは、ついランウェイで発表されるコレクションにばかり注目してしまいがちだが、デザイナーの仕事、特に川久保さんにとっては、それは何よりも大切な核ではあってもブランドのひとつのパートであり、ショップやDM、インスタレーションなどその他のすべてが「コム デ ギャルソンのデザイン」なのである。 大規模ショップの連続オープンという数年に一度といえる立て込んだ状況のなか、「何も思うようにいかない」という「怒り(Anger)」のコレクションは生まれた。「忙しいから思うようにいかない」という次元の話ではないと推測する。常に高く遠く、現状を超えなければならない、という川久保さんの考え方が、すべてのハードルを押し上げているためだと想像できよう。しかし、その前進する意志のなかにこそクリエイションの意味がある、といつもコム デ ギャルソンのコレクションは教えてくれる。
ショーの最後に現れたのは唯一、全身白のルックだった。「白は祈りの色」。どんなに闇の中にいようとも「目を閉じてはならない」。そうすれば、その先に光はある。いや、光を探す方法はそれしかないのだ、と「黒の声」が私たちに迫る。