ロールス・ロイスの「スピリット・オブ・エクスタシー」は勝利の女神「ニケ」になるはずだった…神秘的で幽玄なマスコットを手掛けた人物とは?
勝利の女神「ニケの像」を参考にと提案されるが…
その後、サイクスは最も有名で不朽の名作となる依頼を引き受けることとなる。クロード・ジョンソンはロールス・ロイスのマスコットを希望し、パリのルーブル美術館にある堂々たるギリシャ像「サモトラケのニケ」のようなものにしたいとサイクスに伝えた。しかし、モンタグのシルバーゴーストに乗って旅をすることが多かったサイクスは、翼のはえた勝利の女神よりももっと繊細で幽玄な姿の方が、より表現できると考えたのである。 サイクスはこの新しいマスコットの製作者に任命され、西ロンドンのブロンプトン・ロードにあったアトリエで製作した。彼は1911年~1928年まで製造チームを自ら監督し、その後の1948年までは娘のジョセフィン・サイクスが指揮を執った。その後、ロールス・ロイスはステンレス鋼を使った新しい鋳造技術を使って、社内で作業を継続するようになった。 そのサイクスも1950年に鬼籍に入っている。ロールス・ロイスとの仕事、とくにスピリット・オブ・エクスタシーが最もよく知られているが、彼は商業アーティストとして長く多彩なキャリアを築き、成功を収めた。雑誌の表紙やヘアメイク系の広告をデザインし、ロンドン・ノース・イースタン・レールウェイ(LNER)のポスターなども手がけた。彼の作品は現在も高く評価されており、ロンドンの大英博物館やヴィクトリア&アルバート博物館をはじめとする数多くの重要なコレクションに収蔵されている。
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サイクスのロールス・ロイスに対する一番の功績は、クロード・ジョンソンの「勝利の女神であるサモトラケのニケのようなマスコット」という要求に対して、妖精のような繊細なデザインを提案したことだろう。これによりロールス・ロイスの持つ底しれぬ神秘性と幽玄さがさらに一層際立つこととなった。 2024年には、ギリシャ彫刻であるサモトラケのニケをイメージして作られた「ファントム シンティラ」が発表された。スピリット・オブ・エクスタシーはサモトラケのニケで使われたパリアン大理石から着想を得て、そのきめ細やかな質感をセラミック材によって表現している。形は違えど113年の時を経て、クロード・ジョンソンとサイクスの想いが結実したと考えればじつに感慨深いモデルである。
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