WAT'S GOIN' ON〔Vol. 10〕窮状にあえぐ青森ワッツを照らした北谷の采配 しかしプロ・バスケットボールはコートの内だけにあらず
ライセンス
だが、ワッツと北谷の苦難の道のりは始まったばかりだった。下山は、翌2018-19シーズンを、このまま「北谷体制」で戦うつもりだったが、Bリーグの規定がそれを許さなかったのである。 「昨日まで、現役のアマチュア選手だった自分が、いきなりワッツ(青森スポーツクリエイション)の社員になって、その3カ月後には、プロチームのヘッドコーチになって……私は、まだBリーグのコーチライセンスを持っていなかったんです」(北谷) シーズン途中でバトンを受け取った2017-18シーズンこそグレーゾーンの扱いで乗り切ったが、2018-19シーズンはそうもいかず、北谷は形式上アソシエイトヘッドコーチの扱いとなり、その間にコーチライセンスを取得した。だが、4シーズン続いた主導体制で、北谷は結果を残すことができなかった。 「仰る通りです。必死にやりましたが、ヘッドコーチ、アソシエイトヘッドコーチとして、私は青森ワッツを強豪に育てることができませんでした」(北谷) 下山は、北谷ではなく、運営会社の社長だった自身にこそ責任があると語った。 「選手たちも、北谷さんも、チームスタッフも与えられた環境の中で、死に物狂いでやってくれていました。その意味では、戦犯は私です。先ほど、次の船長と船が見つかるまで、タグボートを沈ませないことが、自分の役目だと申し上げました。北谷さんはヘッドコーチとして毎年、私に提案をしてくれました。戦術上の理由から欲しい選手、有能なコーチ、練習環境の改善……おそらく、北谷さんの望む通りの補強や環境改善をおこなえば、青森ワッツは皆さんの期待に応えられたはずです」(下山) 一呼吸おいた下山の顔には、悲しみが湛えられていた。 「良い選手を獲得するにも、有能なコーチを雇うにも、必要なのは情熱と資金です。ワッツには大きな情熱がありましたが、資金はありませんでした。もし、あの段階で、ワッツ(の運営会社)の責任者である私が、さらなる借り入れをして強化策をとったなら、あっという間に、はっきりいえば翌年には破綻し、青森ワッツというチームは消滅していたと思います。ですから、私は強化策の大半を却下せざるを得ませんでした」(下山) (WATS GOIN' ON〔Vol. 11〕につづく)
VictorySportsNews編集部