日本本土で実施できない米軍訓練が硫黄島で30年間行われている実態《爆音は島全体を揺るがすほど》
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
島全体を揺るがす爆音
硫黄島の基地化の末にやってきたもの。それは、日本本土では実施困難な米軍の空母艦載機による陸上離着陸訓練(FCLP)だった。 FCLP移転の経過は、明治学院大学の石原俊教授の著書『硫黄島』に詳しく記されている。 FCLPは、神奈川県の横須賀基地を母港とする空母ミッドウェーなどの艦載機が、地上の滑走路を使って、空母上の離着陸を擬似的に行う訓練だ。猛烈な騒音を伴うため、1973年に神奈川県の厚木飛行場で始まると、地元住民の抗議行動が起きた。FCLPのうち、夜間に行う訓練はNLPと呼ばれる。NLPが1982年に厚木で開始すると住民の睡眠障害が問題化し、さらに抗議の声が強まっていった。この事態を受けて日本政府は、訓練移転を企図した。しかし、三宅島など候補地が明るみに出るたびに、各地で反対運動が起き、頓挫が続いた。結果、浮上したのが硫黄島だった。住民がいない硫黄島では、反対運動が起きようもなかった。 硫黄島でのFCLPは1991年に開始。以後もFCLPの一部は青森県の三沢基地や、山口県の岩国基地などで継続して行われたが、各自治体はすべてのFCLPを硫黄島に移転するよう国側に働きかけ続けた。結果、2001年末までに三沢、岩国などのFCLPは休止された。 以後、硫黄島でのFCLPは四半世紀以上にわたり、続けられている。この訓練がもたらす騒音の凄まじさは、現地取材した神奈川新聞の記者が報じている。1991年8月6日付の記事「硫黄島で初のNLP」の記述はこうだ。〈赤、グリーンの誘導灯めがけて突っ込み、急上昇する艦載機のすさまじい爆音は、島全体を揺るがすほどだ〉。 硫黄島への移転はいつごろから検討されていたのか。国立国会図書館外交防衛課の鈴木滋氏は論文「在日米軍の夜間離着陸訓練(NLP)と基地移設問題」で〈硫黄島については、昭和58年(1983年)の時点で「政府の一部には候補に挙げる声もある」といった報道もされており、比較的早い段階から候補地として検討されていた可能性がある〉と指摘した。 1983年といえば、国側が旧島民の再居住を不許可とする判断を下す1年前だ。この指摘が事実であれば、再居住不可の判断の背景には、本土の基地負担を硫黄島に押し込もうとする国側の思惑が作用したのではないかと疑わざるを得ない。 防衛省は現在、FCLPを鹿児島県の馬毛島に移転する計画を進めている。この計画通り、FCLPが硫黄島で実施されなくなれば、民間人の上陸制限は解除されるのだろうか。 石原氏は僕のインタビューで「ノー」の見解を示した。「現状変更はないと思います。施政権返還後の半世紀にわたって、国内有数の自衛隊の訓練基地として整備され、使用され続けてきたため、防衛省・自衛隊が硫黄島の全島管理権を手放すとは考えにくい」。
酒井 聡平(北海道新聞記者)