ボリビア戦に挑む乾貴士の悲壮決意「アピールできなければ最後になるかも」
覚悟は常にできている。攻撃陣で最年長の30歳となる自らの立ち位置。若手たちが台頭してきている現状。そして、森保ジャパンにおける招集歴をも鑑みながら、MF乾貴士(デポルティーボ・アラベス)は胸中に秘めてきた背水の思いを口にした。 「アピールできなかったら、もしかすると明日が最後になる可能性もあるし……」 ボリビア代表とノエビアスタジアム神戸で対峙する、26日のキリンチャレンジカップ2019へ向けた前日練習後のひとコマ。森保一監督が22日のコロンビア代表戦から先発の総入れ替えを示唆した一戦で、主戦場とする2列目の左サイドでの先発が濃厚となった乾は、悲壮感を漂わせる言葉に続けて、すぐに気持ちを切り替えて前を向いた。 「……ただ、あまりそういうことは考えずに、楽しくやっていきたい」 日本代表が快進撃を演じた昨夏のワールドカップ・ロシア大会。全4試合に出場し、チーム最多となる2ゴールを決めた乾の活躍ぶりは、日本のファンやサポーターだけでなく世界をも魅了した。大会後に国際サッカー連盟が選出した、「サプライズを与えた5人の選手」の一人に堂々と名を連ねた。 しかし、SDエイバルから昨夏に移ったレアル・ベティスで、時間の経過とともに出場機会を失っていった。序盤戦で得たチャンスを生かせなかったことが響いた。危機感を抱き、出場機会を求めてアラベスへ期限付き移籍することが発表された今年1月下旬。乾はUAE(アラブ首長国連邦)にいた。 森保ジャパンの一員としてアジアカップを戦っていた。しかし、カタール代表に屈した決勝戦を含めた7試合で出場は3試合に、そのうち先発は1度にとどまった。ロシア大会後に船出した森保ジャパンでは、特に中盤における選手間の序列が西野ジャパン時代とは大きく変わっていた。
何よりも「10番」を託されてアジアカップに出場しながら、控え組に回った理由を乾本人が熟知していた。当初はMF中島翔哉(当時ポルティモネンセSC、現アル・ドゥハイルSC)が招集され、森保ジャパンの発足とともに託された「10番」を背負った。しかし、UAE入り後に右ふくらはぎの筋肉を痛めていることが判明。戦線離脱を強いられ、代わりに追加招集されたのが乾だった。 昨年内に行われた5つの国際親善試合で、乾は招集されていない。中島の故障離脱がなければ、盟友のMF香川真司(ベシクタシュJK)とともに、今回の3月シリーズが復帰戦となった可能性が極めて高い。自身が置かれた状況を乾もこう分析している。 「いままでもそうでしたけど、特に若い選手が出てきて、いつ自分のポジションがなくなってもおかしくない状況なので。いまは1試合1試合、本当にアピールしないといけない」 森保ジャパンでは乾が主戦場としてきた左サイドは中島が、香川が長く担ってきたトップ下では南野拓実(ザルツブルク)が眩い輝きを放っていた。右サイドのファーストチョイスになった東京五輪世代の20歳、堂安律(FCフローニンゲン)を含めた3人の存在感を乾はこう語る。 「いまは翔哉、拓実、律が日本代表の武器になっていると思うので。そこに割って入るためには、とにかく試合で一人ひとりがよさをしっかりと出していかなければいけない」 アジアカップでは、左サイドの主軸を今シリーズは招集されていない原口元気(ハノーファー96)が担った。そして、大会終了後に合流した新天地アラベスで、乾は充実した日々を送っている。用意されたポジションは左ではなく、乾をして「やったことがない」と苦笑させる右サイドだった。 「基本的にオレは右じゃないので。いまはチーム事情で右をやっているけど、すごく新鮮で楽しいし、文句もまったくない。右でもいいプレーができるように、少しでもチームの役に立てるように頑張っています」