山本奈衣瑠にブレークの予感 世界を魅了する〝等身大の日本人〟「ココでのはなし」
「おなかすいたね」が最高の感想
映画は、会話の間やテンポなど全体にゆるい。人生の休憩場所、疲れた人たちの心を解きほぐそうというトーンで一貫している。こささ監督は「見る上でプレッシャーを感じてほしくなかった。映画を見るには体力がいる。説教されている感じで見るのがつらいと感じる人もいる。そうした人に最大限の配慮をしたくて、リラックスできる映画にしたつもり」とスタンスが明快だ。 「ココ」の朝食は、オーナーや詩子が握るおむすびだ。実際におむすびを出すゲストハウスが、結構あるという。「おむすびの文化やサービスがいとおしかった。〝おにぎり〟ではなく〝おむすび〟。縁を結ぶものを自らの手で握り、食して、縁が紡がれていく。ゲストハウスのコミュニケーションにふさわしい」とほほ笑んだ。「僕にとって一番うれしい感想は『何か、おなかすいたね』。その言葉がコミュニケーションにつながって、どのキャラクターが好きとか、会話してくれたら」
詩子は私 丁寧に演じた
一方、山本は「詩子は私だった」と言う。「彼女が抱えている状況を、なるべく背負おうとした。(詩子の)家族や彼女自身を私のこととして、リスペクトを持って、失礼のないように演じることを意識した。詩子はなぜ地元がつらいか、父との関係はなぜこうなったか、映画で描かれる前の部分のことが重要だ。時間をかけて考えていると、自分がだんだん混ざり合っていく。同じような境遇の方がいるはずだから、丁寧に演じないといけない。詩子として、傷つき苦しむようにした」 山本の演技は、役のキャラクターが前面に出るというより、そのキャラクターが彼女自身に浸透している。「私は器用でも技術があるわけでもなく、全身で同じ人間になった方が、演じやすい。自分の体から出ているもの、記憶、体験だから切り離せない」。「妙な存在感」と形容されるが、こうしたスタンス、役への接し方があるからだろう。 演じるうえで、何を大切に考えているか。「経験値が浅いので変わるかもしれない」と言いつつ、「どんな役を演じるか以前に、自分自身が普段どう生活するかが大切。私の体を通していろんなことが始まり、観客も役を理解してくれる。1人の人間として豊かであることが一番だ。それがあってこそ、演じた時に楽しめる。大事にしているのは、楽しく生きること」とさわやかな笑顔で応えた。 うなずきながら聞いていたこささ監督も「共感できる。企画や脚本、演出に、生き方は絶対に出る。例えば、『ありがとう』というセリフ一つでも、感じ方や表現が変わる。言葉に出すのか、目線で示すのか。丁寧に生きた先には丁寧に作られた映画がある」と話した。
映画記者 鈴木隆