伝説のNHKアナウンサー・鈴木健二さんが出した昭和のミリオンセラー『気くばりのすすめ』の内容は、令和に通用するか
滝クリの40年先を行く元祖
2024年3月29日、元NHKアナウンサーの鈴木健二が95歳で亡くなった。とはいえ、その名を聞いてすぐに風貌や出演番組が思い出せる人は、もう40代以上ではないか。何しろ、鈴木は1988年にNHKを定年退職したのち、一時は民放テレビ局でレギュラー番組を持ったものの間もなくして終了、以来、放送の世界から遠ざかっていたからだ。 【一覧】テレビ局「本当は使いたくないタレント」…ワースト1位は意外な大御所…! それでもある世代以上には、彼が携わった番組は強く記憶に残っているはずだ。その一つに、1981年にスタートし、鈴木が退局するまで続いた『クイズ面白ゼミナール』がある。ここで同番組で毎回、回答者の紹介を兼ねていた「うそ・ほんとクイズ」にあやかって、こんなクイズを出してみたい。 ---------- Q.鈴木健二は番組冒頭で司会者が名乗らないのは失礼だと考え、『クイズ面白ゼミナール』でも毎回、「わたくしは当ゼミナールの主任教授・鈴木健二であります」と名乗っていた。ほんとかうそか? ---------- 答えは後編記事の終わりで! 鈴木の放送人としての業績をあげていくと切りがない。たとえば、1964年の東海道新幹線の開業を前にした試運転の生中継では、東京~新大阪間を初めて最高時速210キロで走った列車に乗り込んで実況を行った。4時間にわたる中継の途中、車内のモニターがダウンし、テレビに何が映っているかわからない状態に陥るも、鈴木は記憶と勘を頼りに最後まで中継をやりきったという話が残る。 毎週定時の番組も多数担当し、そのうち日本史を扱った『歴史への招待』(1978~84年)は現在、ネットでも何回分かが配信されている。そこでは鈴木が一人で解説、ナレーション、ゲストへのインタビューのすべてをこなしながら番組を進行し、「最後の職人アナウンサー」と呼ばれた職人芸の一端がうかがえる。 鈴木がNHKに入ったのは1952年で、翌年にはテレビ本放送が始まり、まさにテレビとともにアナウンサー人生を歩んできた。それだけに、視聴者にいかに見せるかを常に意識し、研究を重ねてきた。たとえば、ニュースを読むときは、カメラに向かって少し斜めに構える「モナリザ」ポーズを試みたりもした。 当初、行儀が悪いと視聴者から抗議も受けたが、3ヵ月もすると何も言われなくなったという。これが1963年頃の話で、のちに民放のニュース番組でやはり「モナリザ」ポーズが話題を呼んだ滝川クリステルより40年近くも早かった。