『入退院は48回』自身も薬物・アルコール依存症を抱える施設職員...過去には自傷行為や服役の経験も 「ちょっとずつでも居場所が増えていくように」当事者らの社会復帰を支援
依存症のきっかけは共働きの両親に対して覚えた「寂しさ」
利用者を支える渡邊さんですが、実は渡邊さん自身も依存症を抱える当事者の1人です。渡邊さんの実家を訪れると、当時の“痕跡”が残っていました。床には塗料のようなものがついています。 (渡邊洋次郎さん)「ペンキとかシンナーとかそういうのを(吸うのが)やめられなかった。精神状態が悪い中でまき散らしたりとか暴れたりとかしていたかな」 中学2年からシンナーを吸い始め、シンナーが手に入らなかったことをきっかけにアルコールにも依存。20歳の時、薬物とアルコールの依存症だと診断されました。 (渡邊洋次郎さん)「階段の上からジャンプばかりして。どうにもならへん自分を痛めつけて、その時だけちょっと気が楽になるというか」 意識がもうろうとする中、家の階段の上から何度も飛び降り、自傷行為や破壊行為を繰り返したことも。依存症のきっかけは共働きの両親に対して覚えた「寂しさ」だったといいます。 (渡邊洋次郎さん)「両親が共働きで働いていて、すごく寂しかって。でも父親は、寂しいみたいな気持ちを言うとすごく怒るし、母親は母親で困ってしまう人だったので。自分が自分の気持ちを言ってしまったりすると人が嫌な思いをするとか、手を煩わせているみたいな思いがどこかにあって」 「寂しい」と感じてしまう自分を隠さなければと考えた結果、新たな人格として「悪いことができる自分」を作り上げていきました。 (渡邊洋次郎さん)「自分という人間の土台というか根幹をなすようなものがない。シンナーとか不良とかいろんなことが土台の代わりになってくれたというか。これが俺やと思えた」
服役中に自分自身と向き合い依存症からの回復を決意
一方で、渡邊さんの母親は、どのように息子と向き合えばよいのか途方に暮れていたと言います。 (渡邊さんの母)「(当時)依存症なんていう言葉は誰1人言わない。今でこそ言うけどね。私にもこの子の気持ちが理解できないし。親やから子どもをなんとかまともにしてやりたいと思う気持ちが、つい叱る言葉になってしまって」 家庭のことは家庭で解決するべきだと、渡邊さんを叱り続けました。その後も渡邊さんは酒と薬物への依存が止まらず、精神科病院への入退院を48回繰り返しました。さらに、30歳の時にはシンナーや酒を盗んだとして逮捕。服役中、酒も薬物も手に入らない状況で自分自身と向き合い続け、依存症からの回復を決意しました。 以来15年、支援施設に通ったり、当事者グループの集まりに参加したりして酒も薬物も摂取せずにここまできています。利用者は依存症を抱える渡邊さんが職員をしていることについて、次のように話します。 「心強いですよね」 「こっちの気持ちを分かってくれているから」 「社会復帰もできるんやっていうのが目に見えてるので」 (渡邊洋次郎さん)「自分がしてきた経験はあるけども、それを(1つの案として)使えるぐらいのものとして置いておけるほうが自分は良いのかなと」