<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>1987年夏準優勝・島田直也監督/下 運引き寄せる強攻策 /茨城
◇「成功するまでやり続けろ」 島田は2020年春から母校で指導に当たり、7月下旬に監督に就いた。その際、木内から「サインは成功するまでやり続けろ」とアドバイスを授かったという。 助言を象徴するのが1987年夏、準決勝の東亜学園(西東京)戦だった。常総学院は六回、失策で1点を失ったが、八回に島田の左越えソロで同点に。試合はそのまま延長戦に突入した。 十回裏、常総学院は先頭の島田が右前打で出塁し、無死一塁の好機を作った。 この試合、木内監督は序盤から強攻策を続けてきた。定石は犠打というこの場面でも、1年生の仁志(後に巨人など)に「打て」の指示。外角の直球に食らいついた仁志の打球は高く弾む遊ゴロになった。 当時の木内監督の指導では、相手がバントシフトを敷いた時に一塁走者はリードを広めに取ることになっていた。一塁走者・島田が二塁の手前まで達しているのを見た遊撃手は「併殺は無理」と判断して一塁へ送球。これが高くそれた。 悪送球に気づいた島田はスピードを上げた。勢いよく三塁も蹴ると、送球が一塁側フェンスに当たり、高く跳ね上がっているのが見えた。「行ける」。捕手のタッチをかいくぐって左手でサヨナラのホームを掃いた。強運を引き寄せる木内采配のすごみと、小躍りする島田の笑みがファンの記憶に刻まれた。 ◇ 翌日、決勝に向かうバスの中で木内監督は「ここまで来られたのは島田のおかげ。今日は島田が4番」と発表した。前日の大活躍を考えれば、うなずける判断に思える。 しかし打順組み替えは裏目に出た。島田は「変な力み」が出て4打数無安打。投げてもPL学園(大阪)の強打線を抑えられなかった。木内監督は後に冗談めかして「お前を4番にしたのが敗因」と笑ったという。 ◇ 島田は監督就任直後の秋季関東大会で準優勝。大会後、取手市内の木内宅を見舞うと「なかなか声が出せない状態だったが、初めて『よくやった』と褒めてくれた」という。木内は間もなく入院し、1カ月後に旅立った。 これからどんな野球を目指すべきか、もっと話が聞きたかった。「でも『お前に任せたんだからやりたいようにやれ』と言われているように思います」 恩師の教えを下敷きに“島田野球”を作りあげるつもりだ。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第69回全国高校野球> ▽準決勝 東亜学園 0000010000=1 0000000101=2 常総学院