少年院で受けた性被害 加害者は複数の教官だった いまも苦しめられる45年前の記憶[裁かれぬ性犯罪 子ども期の被害](上)
[裁かれぬ性犯罪 子ども期の被害](上) 子どもへの性暴力事件が相次いでいる。親や教師など本来、子どもを守るべき立場の人からの暴力も少なくない。今年は大手芸能事務所の代表が、芸能界での成功を夢見る10代の子どもたちを長年にわたり標的にしていたことも明るみに出た。子どもの頃の性被害は、どんな影響を及ぼすのか。45年前、少年院で受けた性被害の記憶に今も苦しめられているという県内在住の女性(59)が今回、初めて被害の実態を語った。(論説副委員長・黒島美奈子) 【写真】「私は仕事も住居も健康も失った」なのに… 深夜、部屋に上がり込んできた社長の性暴力 不起訴に 女性が少年院に入った背景には家庭環境があった。 生まれてすぐ両親が 離婚。4歳上の姉と共に母方の祖父母に引き取られた。 5歳の頃、突然母が現れ、女性と姉の2人は母が再婚した相手と暮らすことになった。 しかし待っていたのは継父に遠慮しながらの生活だ。妹が生まれると、継子2人への当たりはさらに強くなり、しつけと称して毎日のように暴力を振るわれるようになった。 中学生になると、女性はそんな家に帰らなくなった。友人の家を転々としながら学校に通っていたある日、補導された。2度目の補導で送られた先が、当時沖縄市にあった少年院「沖縄女子学園」だった。 ■大声出して抵抗 少年院には個室の「単独室」と相部屋の「集団室」があり、入院したばかりの女性は始め単独室に入っていたという。 ある日、男性教官が「卓球をしよう」と呼びに来た。日中は授業や作業などの時間で、女性は運動の時間だと思った。 ところが卓球場に着くと教官は、急に抱きつきキスをしてきた。体をまさぐられ、驚いた女性は「わー」「やめて」など大声を出した。 必死で抵抗したが、強く抑えられ動けない。しばらくすると教官は体を離したが、放心状態の女性は逃げることもできなかった。無言で卓球場を出て行こうとする教官の後に付いて、おとなしく単独室に戻るしかなかったという。 数カ月後、今度はこの教官の上司に当たる教務課長の男性に襲われた。 女性はしばらく単独室にいた後、集団室へ移動していたが、この頃再び単独室に入れられていた。 外鍵のかかった単独室に教務課長は当たり前のように入ってきた。誰の目もない部屋で、女性の逃げ場はなかった。 ■女性教官の言葉 性被害の記憶は今も鮮明だ。一方、時がたつにつれ職員の名前や入院生活は曖昧な部分も増えている。 そんな中、ある女性教官の言葉はいまだに忘れられない。週3回の入浴を終えて部屋に戻ろうとした時、女性の耳元で「教官にキスしたんだってね」と言ってきたのだ。 衝撃だった。「このままでは私が誘ったことにされる」と恐怖に駆られた女性は、若い男性教官に打ち明けることを決心した。指導熱心な教官で、とても驚いた様子だったという。 しかし、その後は「何も起きなかった」(女性)。相談後は襲われたり、他の教官から揶揄(やゆ)されたりすることはなくなったものの、加害者たちが処罰されることもなかった。女性は「相談は無駄だった」と語る。 ■移送理由は不明 しばらくして女性は東京にある関東医療少年院(当時、2019年閉院)に移送された。医療措置が必要な少年が入る施設だが「医療を受けた記憶はない」と女性。移送理由はいまだに分からないという。 ただ、移送に付き添った1人は被害を相談した若い教官だったと記憶している。「申し訳なさそうに私を見る目が今も忘れられない」 ※45年前の性被害語り始めた理由 調べると加害者の1人は逮捕されていた[裁かれぬ性犯罪 子ども期の被害](中)に続く