映画『52ヘルツのクジラたち』杉咲花インタビュー──「物語で描かれる“現実の問題”から目を逸らさない」
2021年の本屋大賞を受賞した町田そのこのベストセラー小説『52ヘルツのクジラたち』が、成島出監督によって映画化。杉咲花は、家族に人生を搾取されてきた主人公、三島貴瑚(きこ)を演じる。性的マイノリティやヤングケアラー、ネグレクトなどの問題を扱う本作について、杉咲が俳優として考えたこととは。3月号に掲載したインタビューのロングバージョンをお届けする。 【写真を見る】映画『52ヘルツのクジラたち』とは
作り手がどこまで現実を背負うか。これは映画という表現をめぐる現在進行形の議題だろう。そして今回、杉咲花は全てを背負おうとしている。最新主演映画『52ヘルツのクジラたち』が内包するのは、ヤングケアラーやネグレクト、DVといった社会に潜む問題、そしてトランスジェンダーの人々に対する差別や偏見など。搾取や他者からの支配を経験し、言葉や身体の暴力にさらされた人々が傷つきながらも寄り添おうとする姿を映し出す本作を、彼女は現実と隔絶した物語として提示しない。 「この作品に参加するに際して、現実社会に生きる自分たち自身のこととして、あるいは課題として描いてほしい、というのがひとつの条件でもありました。現実に起きている諸問題に対して非当事者が実感を伴うことは難しいかもしれませんが、物語になり、顔の見える存在として演じることで、少しでも気づきや理解への道筋を作ること。それが俳優に出来ることなのではないかと」 杉咲は、有言実行の人だ。出演を決めるや否や、そこから1年以上続いた脚本の改稿作業に参加し、映画『エゴイスト』で活躍したLGBTQ+インクルーシブディレクターのミヤタ廉といった専門家を作品に引き入れ、撮影現場でも成島出監督をはじめとしたキャスト・スタッフと徹底的に対話。今現在も宣伝会議や打ち合わせに顔を出し、「どうすれば一人でも多くの観客の居場所を作ることができるか」を、身を粉にして考え続けている。 「『52ヘルツのクジラたち』への出演が決まって少し経ったくらいのタイミングで、『エゴイスト』を拝見し、感銘を受けました。性的マイノリティの方が受ける差別や偏見による被害の側面だけでなく、“当たり前にそこに存在していること”が描かれた日本映画はこれまであまりなかったのではないかと思うんです。そもそも、本来であれば当たり前であるはずの光景が“珍しいもの”として目に映る社会の構造自体への疑問が根底にあるのですが……。この作品の松永大司監督とは、以前『トイレのピエタ』でご一緒した縁があり、劇場を出てすぐに連絡をしてどんなふうに作り上げていったのかを教えていただき、その過程でミヤタさんをご紹介していただきました。当時はまだ『52ヘルツのクジラたち』をどの部分に重点を置いて描いていくかの方向性が完全に定まっていたわけではなかったので、ミヤタさんにその段階の脚本を読んでいただき、ご意見を伺ったんです。その後、プロデューサーにも相談して正式に参加していただくことになりました」 ミヤタ廉に加え、本作に臨むうえで“気づき”を与えてくれた存在が、『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房、2021年)、『LGBTとハラスメント』(神谷悠一との共著、集英社新書、2020年)といった松岡宗嗣の著書だった。 「私は、当事者の方々がカミングアウトできないのは、“世の中にはシスジェンダーの異性愛者しかいない”という誤った認識が前提となっている社会状況のせいだと捉えていました。松岡さんの著書では『そもそもカミングアウトをしない人もいるし、カミングアウトする/しないという自由は個人の権利』だということなどにも触れられていて、新たな視点を得ることができました。『52ヘルツのクジラたち』のトランスジェンダーの表現に関する監修で入ってくださった若林佑真さんと話していても感じたことですが、当事者の方だからこそ見えてくる気づきを共有していただけることは、本作に臨むうえでもとても重要なことでした」 それでもなお、杉咲は「こうして話している今も、自分の感覚に偏りはないか緊張があります」と打ち明けた。「でも、それを恐れて“行動しない”ということはできないんです。自分なりに、2024年にこの映画が作られる意味を考えてきました」と決意を持って言い切る。 「私はこれまでの映画やドラマの中で、物語の展開をドラマティックにするために性的マイノリティの方を登場させてきた歴史があると思っています。本作への出演にあたって、その過去や現状、社会の現在地を今まで以上に学んでいく必要があると考えていました。現実では誰にも言えない“秘密”を抱え、差別や暴力にさらされながら、物語では多数派の人々を楽しませるために笑い物やモンスター、または、ただ可哀想な人のように描かれることもある。そのように物語の“痛み”を背負わされる存在だったことを知ったとき、言葉にならないほどのやるせなさを抱き、いかにマジョリティが自分たちのためだけに物語を描き、自分たちを優遇してきたのかということを考えさせられました。そして、無意識のうちに自分がそこに加担してしまっていたかもしれないということも。だからこそ、いまの自分にできることを尽くしたい気持ちがありました。 実際には様々なジェンダーやセクシュアリティの方が私たちのすぐ隣にいます。その当たり前の認識が社会の変化に伴って進んできて、徐々に“特殊な人たち”という枠組みが外れてきたようにも思いますが、未だに理解が及んでいない部分があり、当事者にとっては生死に関わる問題が横たわり続けていると思うんです。価値観が更新される過渡期にある現在の映像制作においては、実際に起こってきた/いる現実を直視し、伝えていく必要性を感じました。存在や心の内側が見えず、聞こえない声とされてきた方々の苦悩を可視化して伝えていくことが、現時点での本作に果たせる役割なのではないかと思ったんです。ですが、私の根底にある願いとしては、この先は一本でも多く、どんなジェンダーやセクシュアリティの方たちも当たり前に隣にいる世界が描かれていくことを望んでいます」 ■わからないことを共有していくこと 現実に即した物語には、「現状」を照射するものや「理想」を提示するものなどがある。杉咲が今言及した「当たり前に隣にいる世界」の実現にはまだまだ程遠いのが、日本の現状だろう。「理想」が物語の中だけでなく、現実になるように──。その想いについても語ってくれた。 「愛(いとし/演:桑名桃李)のように、様々な理由で自分の家庭環境に問題が生じた子どもたちが、安心して生きられる場所を見つけられる選択肢を増やすこと、そして、同性婚や選択的夫婦別姓が認められるようになることなど、どんな経験や属性を持つ方でも自由に家族という関係性を築くかどうかの選択ができるように、1日も早く社会の制度が整えられてほしい気持ちがあります。そうした環境が担保される中で、それぞれの関係性が尊重されるようになっていくことを願っています」 その未来の一助となるべく、先に挙げたミヤタや若林のほか、ヤングケアラーやネグレクト、児童虐待の点も含めて福祉や行政の専門家の取材を行いながらチーム一丸となって作り上げた。 杉咲が演じる貴瑚(きこ)は、高校卒業から3年もの間、義父の自宅介護を強いられてきた人物だ。その歳月を作品中の設定だけで終わらせず、肉体に刻み込み、観る者に伝えるということ。その覚悟と表現の追求は、作品を観れば一目瞭然だろう。義父が横たわるベッドの隣で起き上がり、淡々と声かけや下着の交換をこなしていく貴瑚。しかしその眼には生気がなく、髪や肌もボロボロだ。杉咲の「その人の生活は、ふとした所作や着ている服にも表れるものだと思います。だからこそ大事にしたいという想いを、現場にいた皆が共通して持っていました」という言葉通り、そこには綿密なリサーチのもと立ち上がった「生活=人生」が確かに存在している。 加えて、本作には、ヌードや性的なシーンなどのインティマシーシーンにおいて、俳優の身体的、精神的安全を守り、監督の演出意図を最大限に実現できるようにサポートする「インティマシーコーディネーター」の浅田智穂が参加している。 「今回、初めてインティマシーコーディネーターの方とご一緒しました。フィジカルな関わりの表現において第三者として現場に入って下さる方はこれまでいませんでしたし、“監督に求められることに応えきることが俳優の仕事”だと思ってきましたが、自分が懸念を抱いていることややりたくないことは素直に伝えていいんだと、常識が覆されたような時間でした。浅田さんは親密なシーンにおいて『なぜその表現が必要なのか』という監督の意図を丁寧に確認したうえで私に共有してくださり、映像資料などを元に“ここまではOK”というラインを正確にすり合わせながら、ベストな表現方法を考えて下さいました。そのぶん一段階やり取りは増えますが、そういった時間があることによって、制作陣が互いに理解とリスペクトを持ちながら、建設的にものづくりが行われていく現場のあり方に感動しました。今となっては、インティマシーコーディネーターの方がいらっしゃらない現場は考えられません」 当事者・専門家・表現者、それぞれの立場を尊重しながら意見を吸い上げ、「物語として一人でも多くの観客に届けるための方法」を模索し続ける。杉咲が「時代の価値観に敏感でいようとする制作陣の姿勢はとても大事なことだと感じますし、そんな現場に参加できて幸せでした。そこで気づけたことをみんなで更新していけたらいいなと」と語る『52ヘルツのクジラたち』は、日本映画の新たな夜明けとなる可能性を秘めている。 「私自身はまだまだ学びの途中です。でもそれでいいのだと、今回の作品を通して感じられました。社会の変化とは、その時代を生きているすべての人たちと共にあるもの。だからこそわかったふりはできないし、わからないことを共有していくことが大切だと感じています。私個人の想いとして、“誰にも聞こえない声”とされた52ヘルツの周波数を受け取れる人が一人でも増えて、貴瑚や愛、アンさんのように、一人ぼっちだと感じている人が結ばれてほしい気持ちがあります。ただ、そのためにこの映画で踏み込んだ場所はとても繊細な領域でした。そのうえで、本作をなるべく安全に観ていただけるように、公式サイトではトリガーウォーニングが行われているので、センシティブな描写に関して気になる方はご覧いただけると幸いです。 この映画に対して様々な意見が出るであろうことも想像します。ですが、そこで議論が巻き起こることで、この先、物語を制作するうえでどんな変化を反映していくべきなのかという対話が生まれ、次の時代の作品へと橋を渡していくことができれば、それも大切な役割なのではないかと今は考えています」 たとえ主演でなかったとしても、彼女の想いや行動はなんら変わらなかっただろう。一人の人間として今を憂い、表現者として未来を願い、後世にバトンをつなぐべく奔走し続ける。俳優・杉咲花の“声”もまた、他者の心に伝播していく。 最後に、どうしても気になっていた質問を投げかけた。杉咲花の根底に「演じる楽しさ」はあるのだろうか? 「正直に言うと、私は“演じる”という行為に対して、“楽しい”や“好き”と屈託なく言うことはできないんです。自分の表現が見てくれる人にどう受け取られるのだろうという緊張感や、求められたことに応えきれるだろうかというプレッシャーの方がはるかに強いですし、演じる役や目の前にいる共演者、制作陣といった自分ではない誰かと関わる時間自体が私にとっては恐怖だったりします。 ただ、他者を演じるということは、良くも悪くも、そのときの自分の現在地や価値観を突きつけられることでもあります。これからも自分のことを理解して変化を続けていきたいし、本音を言うと、もっともっと他者と関わりたい。失敗したり、傷つくことは怖いけど。でも、その壁を押しながら何かを探求したり、一つの目標に向かって他者と日々を紡いでいく時間に、やっぱり価値を感じるんです。だからこそ、今自分に出来ることは“演じる”ことなのかなと。自分の人生において演じるということは、誰かを大切にすることができて、たまに自分のことも肯定できる、必要な時間です」 ■杉咲 花(すぎさき はな) 俳優。1997年生まれ、東京都出身。『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)で第40回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞をはじめ、多くの映画賞を受賞。近年の主な出演作に『十二人の死にたい子どもたち』(19)、『青くて痛くて脆い』(20)、『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2 1)、『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』(21)、『大名倒産』(23)、『杉咲花の撮休』(23)などがある。2023年公開の主演映画『市子』も話題に。 ■『52ヘルツのクジラたち』 ある傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家に移り住んできた貴瑚。虐待され「ムシ」と呼ばれる少年との出会いが呼び覚ましたのは、貴瑚の声なきSOSを聴き救い出してくれた、今はもう会えないアンさんとの日々だった──。 3月1日(金)、TOHOシネマズ 日比谷ほか、全国公開! ©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会 配給:ギャガ 公式ホームページ:https://gaga.ne.jp/52hz-movie/ ■映画『52ヘルツのクジラたち』からのお知らせ 映画『52ヘルツのクジラたち』製作にあたり、下記の監修者が参加しています。 トランスジェンダー監修:脚本から参加し、トランスジェンダーに関するセリフや所作などの表現を監修 LGBTQ+インクルーシブディイレクター:脚本から参加し、性的マイノリティに関するセリフや所作などの表現を監修 インティマシーコーディネーター:セックスシーン、ヌードシーンなどのインティマシー(親密な)シーンの撮影現場で俳優をサポート また、本作にまつわる言葉や注意が必要な表現については下記に記載します。 トランスジェンダー:出生時に割り当てられた性別と性自認が異なる人 トランスジェンダー男性:出生時に割り当てられた性別が女性で、性自認が男性の人 アウティング:本人の性のあり方を、同意なく第三者に暴露すること ヤングケアラ―:本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども(こども家庭庁HPより https://kodomoshien.cfa.go.jp/young-carer/about/) 児童虐待:親や親に代わる教育者などが子どもに対して行う身体的・心理的・性的虐待及びネグレクト(認定NPO法人児童虐待防止協会HPより https://www.apca.jp/about/childabuse.html) DV(ドメスティックバイオレンス):配偶者や恋人など親密な関係にある、又はあった者から振るわれる暴力(男女共同参画局HPより https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/index.html) 本作には、フラッシュバックに繋がる/ショックを受ける懸念のあるシーンが含まれます。 ご鑑賞前にこちらをご確認ください。https://gaga.ne.jp/52hz-movie/info/
取材と文・SYO 写真・今津聡子 スタイリング・渡辺彩乃 ヘアメイク・宮本愛(yosine.) 編集・横山芙美(GQ)
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