【特集】中越地震20年で迎えた「全国闘牛サミット」 各地からの支援に感謝と伝統文化をこれからも 《新潟》
長岡市旧山古志村の伝統「牛の角突き」。 ことし5月26日、「全国闘牛サミット」が長岡市で開かれ、中越地震の際に寄せられた支援への感謝を伝える場になりました。 闘牛文化をこれからも……中越地震から20年を迎えることし、山古志の人々はその思いを深めています。 【動画】伝統の「牛の角突き」 中越地震20年のことし 闘牛文化をつなぎたい 《新潟》
◆牛の角突き
震災によって途絶えかけた伝統は多くの支え、新しい風を受けながらいまに受け継がれています。 長岡市旧山古志村の「牛の角突き」。 ことし5月26日、闘牛文化を持つ地域が集まる「全国闘牛サミット」の記念大会が開かれました。 山古志闘牛会の会長、松井富栄さん。9年前に亡くなった父親から会長を引き継ぎ、地域の誇りを守ってきました。 <山古志闘牛会 松井富栄会長> 「復興の中で全国の闘牛会の皆さんが応援してくれて、牛をなくした分を送ってくれたりして、この20年を皆んさんのおかげでやってこられてうれしい気持ちでいっぱいです」 2004年10月23日に発生した中越地震。震度6強の揺れが山古志を襲い、住宅が倒壊、至る所で道路が寸断しました。陸の孤島となり住民たちは「全村避難」を余儀なくされました。 家族同然だった牛も被害に遭いました。当時、県外で働いていた松井さんは地元に戻り、父親の治二さんとともに牛の救出に奔走しました。 「牛の角突き」は傷ついた山古志の住民にとって復興のシンボルに。震災から半年後には仮設の闘牛場で再開しました。
◆鹿児島県から牛が
ことし4月。牛舎に到着したトラック。荷台から1頭の闘牛が姿をみせました。 「全国闘牛サミット」の記念大会に出場させようと鹿児島県徳之島からやってきました。名前は「がん太」5歳です <山古志闘牛会 松井富栄会長> 「今は来て興奮状態なのでこれから1週間くらいはぐったりしていると思います。あとひと月しかないのでしばらくはゆっくり休んで」 「全国闘牛サミット」は岩手県久慈市や沖縄県うるま市など9つの地域が年に1度集まるイベントです。文化の保存や交流などを目的に持ち回りで開かれています。 闘牛会の会長だった松井さんの父・治二さん。中越地震によって牛舎が倒壊し、8頭の闘牛が犠牲になりました。 さらに助け出した牛は飼育ができない環境・・そのとき手を指し伸ばしてくれたのが徳之島の人達でした。地震で多くの闘牛が被害にあったこと知り、代わりに面倒をみてくれました。 <松井さんの父・治二さん> 「こっちの人たちと交流して、気持ちを通じ合いたいと思っている。本当に今回の被災には大きな力を貸してもらいましたから」 多く人たちの支援を受けながら震災を乗り越えた山古志の闘牛文化。ただ、今は別の課題に直面しています。 震災当時2200人ほどいた山古志の人口は現在750人を下回っています。人口減少、過疎化とともに闘牛に携わる人も減り震災前と比べると牛の数も30頭ほど減りました。