泣く人続出した舞台 藤原紀香の「カルメン故郷に帰る」きょう放送。この舞台を通して考えさせられたこと
今年見た舞台で印象に残った一本に、藤原紀香が主演した「カルメン故郷に帰る」(羽原大介脚本、錦織一清演出)を挙げる。後半でハンカチを取り出したり、鼻をすするお客さんが目立ったが、自分もちょっと恥ずかしくなるくらい泣いてしまった。その作品がきょう8日、午後5時半から衛星劇場で放送される。 「カルメン―」といえば1951年公開の映画。高峰秀子さん主演で巨匠、木下惠介監督がメガホンを執った。何より「日本初の総天然色映画」として邦画史に刻まれている。主人公はストリッパーのリリィ・カルメン(高峰)。彼女は故郷に錦を飾るため、仲間を連れて里帰りするも、違った形で大騒ぎになる物語。こちらはデジタル修復版が同様に午後8時から放送で両方をハシゴして見ることができる。 しかし、映画版を見たとき、泣いたような記憶はない。今回、再度見直してみたが、高峰さんは、意図的だろうが主人公をカラッと演じることに徹している。そのため、舞台版とはずいぶん印象が違ったのだ。 比べて、藤原演じる主人公は柔らかい。ソフトだが内に秘める強さがある。脚本面では、親子の描き方も違う。舞台では娘と父が、向き合う場面で重要な意味を持たせている。父親役の石倉三郎が、いい味わいを出していた。 終演後のカーテンコールでの出演者トークでは、座長の藤原が共演者から慕われているのが伝わってきた。演者として器用ではない。テクニックを使わず“役の心”でぶつかっていくタイプだ。タレントのイメージが強くて損しているのか。女優としてもう少し評価されていいのに、とも思う。 藤原は最近、所属事務所の破産も報じられるなど、大変そうだ。この件に限らないけれど、特にネット社会になって、刺激の強い現象を求めたがる傾向はどんどん強まっている印象を受ける。しかし、その一方で渦中にある人が、真剣にエネルギーを注いでいる“本質的なもの”を理解しようとすることも大事だと思う。藤原の舞台を通して、そんなことも考えさせられたのでした。(記者コラム・内野 小百美)
報知新聞社