【大学野球】令和の赤門旋風へ…リーダーシップ旺盛な主将がけん引する2024年の東大
「ノ」の一画を書き足すために
東大野球部合宿所「一誠寮」の玄関を入ると、ロビーに額が掲げてある。 「一誠寮」 よく見ると「誠」の字に「ノ」の一画がない。初代野球部長・長与又郎氏が揮毫し、最後の一画は、東大が東京六大学リーグ戦で初優勝した際に書き足すことになっている。 1925年秋。五大学野球連盟に帝大(当時)が加盟する際、長与氏は「どんなに苦しくても連盟を脱退しないこと」「必ず一度は優勝すること」と、部員に対して約束させた。東京六大学リーグが創設されて以来、東大は1946年春の「2位」が最高成績。最後の一画を書き入れるため、東大は日々、活動を続けている。 1月8日が練習始動日。午前中は環境整備、昼過ぎから根津神社での必勝祈願を行った後、取材に応じた藤田峻也主将(新4年・岡山大安寺中等教育)は、2024年春の目標を言った。 「僕らの学年が、これまでと違うのは『優勝』を目標にしているところ。負けん気の強いメンバーが多いんです。高い目標を掲げ、本気で目指すチームにしていきたい」 98年春から52季連続最下位。東大は毎年、年間の目標として「勝ち点奪取」「最下位脱出」「勝ち点2で最下位脱出」など、現実的な設定をしていた。「優勝」の二文字が飛び出すのは、過去にもほとんど例がないと言っていい。 「勝ち点奪取、最下位脱出を目標にしていると、目の前への一戦への意識が下がってしまう。目標を優勝にすれば、どの試合も負けない。負けられないという位置づけになる。対戦する5大学すべてからの勝ち点(2勝先勝)を目指す。(開幕前の)オープン戦からどこにも負けない。負けたくない。神宮で対等にやり合える準備をしていく」 東大の主将選考は、最終学年で話し合いの場を持ち、立候補者を募る。そして再度、学年ミーティングで意見交換の場を持ち、最後は多数決で決まる。藤田は人生初主将に、自ら手を上げ、候補者5人から選出された。 「下級生から試合に出場し、たくさんの経験をさせていただいてきました。最下位が26年続いているので、組織を変えていきたい。歴史を変えていきたいと思いました。全員がチームのことを考えて行動する。勝つべきチーム、応援されるチームにしていきたいです」