【阪神・淡路大震災から29年】被災した住民と交流を続ける生徒たち 生まれる前の震災を支援する理由
阪神・淡路大震災から29年。愛知県豊橋市にある学校で黙とうが捧げられました。この学校では29年、被災した住民との交流を続けています。先輩から脈々と受け継ぎ、繋がり続ける思いとは…。
鎮魂の祈りは能登半島と"ともに" 世代を超えて語り継いでいく想い
17日午前5時46分。6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、29年となりました。今年、神戸市にある東遊園地の灯籠で描かれたのは「ともに」という文字。震災当時を知る人が少なくなる中、世代を超えて語り継いでいくという想いと、能登半島地震で被災した人たちへの「ともに助け合おう」というメッセージが込められています。 親子連れの父親: 「この子が生まれて3年続けて来ているが、これの意味とかもちょっとずつわかってもらえたらと思う」 知人を亡くした男性: 「僕らが被災した29年前も寒い夜だった。石川のことが悲しくて。石川の人に29年前に助けられたし、今度は僕らが助けなあかん番やと」
離れていても心をともに… 生徒たちで受け継ぐ被災した人との繋がり
愛知県豊橋市の桜丘学園。離れた土地の生徒たちも犠牲者を思い、黙とうを捧げました。この学校の生徒たちが29年間続けてきたのは、豊橋駅前で願いを込めたキャンドルをともす追悼集会。今年は17日に神戸の追悼式で使用した灯籠を豊橋まで運び、現地と心をともにします。 家族を失い孤独になった被災者を励まそうと始まった「孫便りインターアクトクラブ」の活動も今年で29回目。長きにわたり被災した住民と文通やメールをしたり、兵庫へ行って交流会を開いてきましたが、生徒たちにとって今年の追悼集会は特別だといいます。 桜丘学園の生徒(3年生): 「能登半島でも大きな地震があって衝撃を受けたんですが、交流をしている方も同じような恐怖心を抱えて、震災当時そういう心境だったのかなと思うと胸が痛みました」 兵庫での交流会は今までに60回以上。震災から20年の節目には、卒業生も集まり交流会を開きました。母になり、子どもたちを連れて参加した人も。生徒たちで受け継いできた繋がりに、住民は…。 谷村輝さん(当時81): 「孤独だから、子どもたちとしゃべることで少しは人間らしい気持ちになれる。生きがいですよ、私の。彼らのためなら、また努力しようかと」