日本で初めて「鶏の唐揚げ」を出したレストラン/「料理は科学」3男社長、大震災で知った客の支え~三笠会館の事業承継前編
◆東日本大震災で感じた「お客様の愛」
――追い打ちをかけるように、2011年、東日本大震災が起こります。 同業他社の売上は非常に落ち込んだと聞きましたが、三笠会館の業績は2011年の夏頃から大きく回復しました。 未曽有の大震災で“死”が急激にリアルに感じられたことによって、「いつまた震災が起きるかわからない。そうなれば、大切な人と二度と会えないかもしれない」と多くの方が思われたのでしょう。 同窓会などの大規模な会合を開いてくださるお客様が急激に増えたのです。 「この時間を大切にしよう、会いたい人にちゃんと会っておこう」と願われた時、その場として三笠会館を選んでいただいた。 それはやはり長く愛される店を続けてきた結果ですし、お客様のおかげでどうにか苦境を乗り切ることができました。
◆先代が秘書に明かした想い
――震災の翌年である2012年、社長に就任されます。先代からはどのように承継を告げられたのでしょうか? 突然でしたね。前触れなく、何気ない話のように「もう決めた、私は辞める」と切り出されて驚きました。 いずれ来るだろうとは思っていましたが、まさかこのタイミングとは。私はまだ家業に入って10年も経っていませんでしたから。 しかも、翌年6月の株主総会で交代だろうと思ったら、「いや、年内に辞めたい」と。その時点で9月だったのにですよ(苦笑)。 何とか時期を延ばして、11月に交代が決まりました。 本人は語らないので想像に過ぎませんが、リーマン・ショックや東日本大震災といった大きな出来事を受けて「時代は変わった」と考えたのではないでしょうか。 先代は、様々な店舗を出して外食の楽しさを世に広めてきました。 ただ、そのやり方だけではもう立ち行かない。 時代が変わった今、経営に新しい視点が必要だと捉えたのではないかと。 後々聞いたのですが、先代は秘書にこんな話をしていたようです。 「自分は後見役としてしばらくは社に残る。 万が一、私と新社長の意見が異なった場合は、新社長の側につきなさい。 それに、私が元気なうちに社長の座を譲れば、もし新社長が失敗してもこちらで責任を持てる」と。