少年刑務所で行われた“奇跡の授業”「目の前にる、重い罪を犯した彼らは素直だった」
〈地図〉 子どものころ マンガに夢中になる小学生がいても 地図なんかに夢中になる小学生は あまりいないだろう でも ぼくはマンガよりも 地図が大好きだった 地図には ぼくが暮らす施設が載っていた 地図には 離れて暮らす母の団地が載っていた 地図には 団地の近所の公園やスーパーも載っていた 施設では 先輩のいうことが絶対で ぼくたち年下は毎日殴られた 歯を折られた友だち 顔に火をつけられた友だち 風呂で死にかけた友だち 大切にしていた流行りのカードやゲームも 数えきれないほど取られ 売り飛ばされた まわりの大人は 大事にならない限り助けてくれず なんの役にも立たなかった そんな施設が 先輩たちの城であり ぼくたちの牢獄だった 苦しくて 無力で どうしようもなくて こんなところから早く出たくて 毎日だれかが泣いていた そんなとき 地図を見れば 少し 心が和んだ 数十キロ離れていても 地図を見れば 母と繋がっている気になれた 思い出をたどるように 母と通った道や行った場所を 夢中で探した みんなが好きなマンガより ぼくは地図が好きだった ぼくが生きていて 母が生きている時間が 十二年 ぼくが生きていて 母が死んでからの時間も 十二年 ぼくにとって一つの節目なので 母に捧げる詩を書きました 【解説】「施設で育った彼は“刑務所のほうがマシです”と言いました。実際に屋根があるところで寝られて3度ごはんが食べられる状況が当たり前ではない子が多いんです」(寮さん)
〈あたたかい手〉 ねえ かあさん あなたの手は ときに 強く抱きしめてくれた ときに やさしく涙をふいてくれた ときに 怒られ 叩かれ 冷たい手だと 感じたけれど どんなときでも あなたの手は あたたかい手 そんな手を持つあなたが 大好きです 【解説】「作者のAくんが“自分は、親とは赤ん坊のころ、2年だけしか一緒に過ごせませんでした。だから顔も覚えていません。こんなお母さんだったらいいなあ、という夢を書きました”と言うので、びっくりし、泣けてきました。安心、安全な場所だからこそ彼は本心で詩が書けたのだなと思います」(寮さん) 〈時流〉 サンタさんはいない より おとうさんはいない を早く覚えた いつ帰っても だれもいない家には 知らぬままであるべきことが 散らかっていた ありがとう より ごめんなさい を多く使った 求められているものを 持っていなかった 母だから こんなぼくでも 許してもらえる 愛してもらえる とは限らない 自分の命を背負うには まだ若すぎた 孤独を嫌う者で 群れをなし 寝床を探して 恥さらし 腹を空かして 見境をなくした わたしは あの日から大人になった いまは 家族と呼べる人がいる わたしは どんなときでも わたしでしかないが いまのわたしを 必要としてくれる人がいる だから わたしは どこでも幸せだ いま 過ちを犯しても 待ってくれている人がいるから あの日から 遠くなればなるほど おかえりなさい が聞きたくて 【解説】「結婚して家庭を持っているのかなと思っていたら違いました。親がいなかったり事情がある子どもたちが空き家に集まって暮らしていたんです。彼は“偶然集まった仲間だけどその仲間が僕の本当の家族です”と。彼は偶然と言ったけれど偶然ではない。日本にストリートチルドレンはいない、とよく言われますが見えないだけで実際にいるのだと胸が痛みました」(寮さん) 寮 美千子さん●1955年、東京都生まれ。'86年、毎日童話新人賞、2005年泉鏡花文学賞受賞。主な著作に絵本『おおかみのこがはしってきて』ほか、『あふれでたのは やさしさだった』、『なっちゃんの花園』など 松永洋介さん●ならまち通信社代表。奈良の情報を発信し、'07年~'16年まで奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」の講師を務める