【連載 泣き笑いどすこい劇場】第21回「人」その3
内館牧子さんと朝青龍も、まさにこの反りの合わない天敵だった
「長い棒と短い棒、支え合ったら人になる」。 そんなCMがありました。 土俵が沸くのは、ただ勝ち負けの競り合いだけでなく、人と人、人間と人間のさまざまな感情が交錯し、思惑が絡み、この勝負の裏のなんとも言えない人間臭さが見ている者を魅了するからです。 相撲の醍醐味、おもしろさと言っていいでしょう。 人と言ってもいろいろ。人間臭さもいろいろ。 これは「人」という文字にこだわったエピソードです。 ※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。 【泣き笑いどすこい劇場】第5回「力士の憧れ 天皇賜盃」その3 人たらし 世の中には、どうしても反りの合わない人間がいる。平成22(2010)年1月まで横綱審議委員を務めていた内館牧子さんと朝青龍も、まさにこの反りの合わない天敵だった。もっとも、一方的に批判し、糾弾したのは内館さんのほうだったが。どうしてあんなに手が合わなかったのか。内館さんはマスコミの取材にこう答えている。 「アスリートとしての朝青龍は150%好きだった。でも、大相撲には相撲道というのがある。それを無視する朝青龍と、ピシッとした態度を取らなかった師匠がいたから、毎回、私は鬼のように怒らなきゃいけなかった」 内館さんの心の中には、誰も侵すことのできない横綱像がそびえていたのだ。だから、内館さんが怒りの矛先を向けたのは、朝青龍だけでなかった。平成14年の初場所前には、3日前に東京ドームでプロレスを観戦しながら、左手首の故障を理由に横審の稽古総見を欠席した横綱武蔵丸(現武蔵川親方)にい対しても、 「ちょっとおかしい。あんな力士に優勝なんてしてほしくない」 と、激辛批判。これを聞いた師匠の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)が、 「場所を休んだワケではないのに、どうしてそこまで言われなくちゃいけないのか」 と猛反発し、ちょっとした論争になっている。結局、この場所、武蔵丸は左手首痛がひどくなり、4日目から途中休場したが、次の春場所、内館さんの批判に発奮して見事、優勝。 「場所中、何回も手首の関節がズレた。その度に若い者に引っ張ってもらって治したんだ。あと何回、優勝できるかな。親方はあと5回しろと言っている。やれるかな」 とご機嫌で話している。 この横綱にはひと際厳しかった内館さんが、病に倒れたのは平成20年12月。心臓弁膜症の手術をしたのだ。このため、およそ半年間、稽古総見も休場。久しぶりに姿を見せたのは翌年4月29日の稽古総見だった。 すると、稽古終了後、痛烈な批判を浴びせられ続けた朝青龍が、 「先生、お帰りなさい。心配していましたよ」 とにこやかに歩み寄り、肩を抱いたのだ。この天敵のまさかの奇襲に驚いたのは内館さん。 「(豊臣)秀吉みたい。人たらしって感じね」 とただ苦笑いするばかりだったが、これで攻撃の腰を折られたのは確か。このときも2日前にモンゴルから再来日したばかりで、横綱、大関とは対戦なしという物足りない稽古内容だったが、内館さんの雷はついに落ちずじまいだった。朝青龍がこんな気配りをもっと他の面でもしていたら、この10カ月後、不本意な形で引退することもなかっただろう。 月刊『相撲』平成24年7月号掲載
相撲編集部