ティモンディ・前田裕太「名門・済美高校で甲子園に行けなかった僕」無気力な日々を支えた意外な人物との卒業までの半年間
お笑いをはじめ多彩な分野で活躍しているティモンディの前田裕太さん。野球の伝統校・済美高校時代に忘れられない出会いがあったそうです。辛い時期を支えてくれた存在と、相方・高岸宏行さんとの出会いについてお聞きしました。 【画像】「丸坊主姿が新鮮」相方の高岸さんと一緒に高校の運動会に興じる前田さん「やっぱり運動神経抜群」ほか(全15枚)
■初めての彼女は中学3年のクラスメイト ── 学生時代は野球漬けだったそうですが、恋バナをお聞きしても…? 前田さん:中学3年生のときに初めて彼女ができました。3年生で同じクラスになって、気になってて、いい感じではあったんですけど、進展するきっかけがなくて。
当時、小学校の高学年から続けていた野球のクラブチームで、中学3年の夏に最後の試合があったんです。どんどん勝ち進んでいて、全国大会で優勝するような強豪チームと当たることになって。そのときに、僕はその子に「いつも応援してくれたんで、試合に勝ったら、伝えたいことがある」って話しました。 ── 結局、どうなったんですか? 前田さん:試合には負けちゃったんです。でも、試合後に僕ら3年生が野球部を引退するとき、彼女が「お疲れさまでした。頑張ってたのをずっと見ていたから、何でもひとつ言うことをきいてあげる」と言ってくれて。「じゃあ、試合には負けてしまったけど、今言わせてもらってもいい?」と僕から…。
── 告白したんですね! 前田さん:苦手なんですけどね、そういうの(笑)。
■みんながLINEでやりとりするなか神奈川と愛媛で“文通” ── 中学3年の夏の告白をきっかけに、気になっていた女の子と付き合うことになったのですね。 前田さん:ただ、僕は、実家のある神奈川から野球の強豪校として知られていた愛媛の済美高校に進学することが決まっていたので、彼女とは必然的に遠距離恋愛になっちゃって。 当時、済美高校は携帯電話の使用が禁止されていたこともあって、「連絡手段がない」となったんですね。それだとしんどいだろうし、相手の女の子もキラキラした高校生活が待っているはずだから「別れようか」って話をしたんです。そうしたら、「それでもかまわない」と言ってくれて。済美高校に進学してから、神奈川と愛媛で2年くらい文通を続けました。
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